沖縄県
おきなわけん 沖縄県 |
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方、沖縄地方 | ||||
団体コード | 47000-7 | ||||
ISO 3166-2:JP | JP-47 | ||||
面積 | 2,281.14km2 |
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総人口 | 1,446,469人 (推計人口、2018年1月1日) |
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人口密度 | 634人/km2 | ||||
隣接都道府県 | 鹿児島県 | ||||
県の木 | リュウキュウマツ | ||||
県の花 | デイゴ | ||||
県の鳥 | ノグチゲラ | ||||
他のシンボル | 県の魚 : タカサゴ(グルクン) 県の歌 : 沖縄県民の歌 本土復帰記念日 : 5月15日 慰霊の日 : 6月23日 |
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沖縄県庁 | |||||
知事 | 翁長雄志 | ||||
法人番号 | 1000020470007 | ||||
所在地 | 〒900-8570 沖縄県那覇市泉崎一丁目2番地2号 北緯26度12分44.8秒東経127度40分51.3秒座標: 北緯26度12分44.8秒 東経127度40分51.3秒 |
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外部リンク | 沖縄県 | ||||
ウィキポータル | 日本の都道府県/沖縄県 | ||||
ウィキプロジェクト |
沖縄県(おきなわけん)は日本で最も西に位置する県であり、沖縄本島・宮古島・石垣島など多くの島々から構成される[1]。県庁所在地は那覇市。
目次
概要[編集]
薩南諸島を除く南西諸島の島々(沖縄諸島・先島諸島・大東諸島)から構成されており、東シナ海と太平洋に挟まれている。面積は2,281?と香川県・大阪府・東京都に次いで小さく、また人の居住する日本最南端の地域を含む県でもある[2]。
県民の約9割が沖縄本島に集中しており、行政上、沖縄本島とそれ以外の離島とに分けられる場合がある。
ほぼ全域が亜熱帯気候であり、一部は熱帯に属する。年間を通して温暖な気候であり、最高気温と最低気温の差も小さく、標高の高い山も存在しないため氷点下になることもない。
海上輸送路(シーレーン)および軍事的要地(第一列島線)として重要な場所に位置し、多数の在日米軍基地が存在する。主な米軍施設として、嘉手納飛行場・普天間飛行場・キャンプ・バトラー等が存在する。
同県与那国島は日本最西端の領土であり、八重山郡与那国町は日本の最西端の地方自治体である。また正確な日本の東西南北の最端部の中で唯一自由に訪れることができる場所である。
尖閣諸島は同県石垣市に属しており日本が実効支配しているが、中華人民共和国および中華民国(台湾)は尖閣諸島(あるいは沖縄県全土)の領有権を主張している(参照1、参照2、および「尖閣諸島問題」、「中国人による沖縄県への認識」を参照)。
同地にはかつて三山を統一した尚巴志により建国された琉球王国が存在し、明国や清国に朝貢し冊封を受けていた。1469年、首里城でクーデターが起き、家臣の金丸(後に尚円王と号す)が王位を簒奪する。1609年(慶長14年)に薩摩藩の侵攻を受け尚寧王は降伏し、当時王国の領土であった奄美群島は薩摩藩に割譲[3]、王府は薩摩藩の影響下におかれた(琉球侵攻)。以来、琉球王国は日本側の薩摩藩と清国に『両属』する曖昧な国際的地位となっていたが、鎖国体制下の両国の中継貿易地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化を保っていた。
近代に入り日本本土で明治維新がおこり開国したことを受け清国との間に外交関係が樹立されると中央集権国家の確立を急ぐ明治政府の命により琉球王国は琉球藩に、後に廃藩置県で沖縄県となり、尚泰王は強制廃位させられ450年間続いた琉球王国は名実共に消滅した(琉球処分)。清国は日本側の一方的な処分に抗議するなど帰属問題は尾を引いていたが、後に日清戦争で日本が勝利したことにより沖縄の領有権が最終的に確定した。琉球王国時代の城跡遺跡は『琉球王国のグスク及び関連遺産群』としてユネスコの世界遺産に登録されている。
1945年(昭和20年)、第二次世界大戦では『唯一の地上戦』と呼ばれる[4] 沖縄戦の戦場となった。米軍は4月1日に沖縄本島の読谷村の海岸に上陸し、瞬く間に北半分を制圧、米軍の総攻撃を受け次第に日本軍は南部に追い込まれ、総司令部が置かれていた首里城も焼け落ちた。6月23日には沖縄守備軍最高指揮官の牛島満中将らが摩文仁で自決したことで組織的戦闘は終結した。約3カ月に及ぶ激戦により県民の4人に1人が犠牲になり土地も荒廃した。現在、摩文仁は沖縄戦跡国定公園に指定されており、6月23日は慰霊の日として沖縄県の休日となっている。
戦後、南西諸島は米軍の占領下におかれ、沖縄県は一旦消滅した(アメリカ合衆国による沖縄統治)。米軍主導のもと新たに『琉球政府』が誕生、基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、右側通行の道路を整備し、通貨としてB円、後に米ドルを使用させ、日本本土への渡航にパスポートが必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。1952年(昭和27年)に本土が主権回復した後も引き続き沖縄は米軍の統治下におかれた。1950年代以降になると朝鮮戦争やベトナム戦争が勃発し、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、B-52等の戦略爆撃機や枯葉剤や核兵器といった大量破壊兵器も多数配備され、ベトナムからは『悪魔の島』と恐れられた[5]。経済は基地に大きく依存していた一方で、当時ドル高円安の固定相場制の影響もあり物価は安く生活は安定しており、人口は終戦直後の約50万人から本土に復帰する直前にはほぼ倍になるまで増加した。しかし米軍による強権的・差別的な施政に島民は強い反感を抱き、本土への復帰を求める大規模な反基地運動が各地で展開されていった(島ぐるみ闘争)。1971年(昭和46年)に佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン大統領との間で沖縄返還協定が締結され、翌1972年(昭和47年)に沖縄は日本に返還され沖縄県が復活した。(沖縄返還)[6][7]。米軍統治時代から続く基地問題や不発弾の問題、日米地位協定の問題は当県の主要な政治課題となっている(「普天間基地移設問題」を参照)。
歴史的経緯・文化・風習・習慣・人名・方言・経済・制度的にも本土のそれとは大きく異なり、俗に県外のことを「内地(ナイチ)」、県民以外の人を「内地人(ナイチャー)」と呼び分ける場合がある。
日本屈指のリゾート地であり、歴史文化・沖縄料理・レジャー・マリンスポーツ・戦争遺跡などを強みに観光分野に特に力を入れており、観光業を含む第三次産業が79.2%を占めている一方で第一次産業は5.4%、第二次産業は15.4%と非常に低い[8]。
また格闘技界においては空手の発祥の地として世界的に有名であり、多数の外国人門下生が県内の道場に入門し稽古している。
名称[編集]
「沖縄(おきなわ)」という地名の由来は、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」を由来とする説(伊波普猷)と、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」を由来とする説(東恩納寛惇)とがあるが、いずれも定説には至っていない。
淡海三船が著した鑑真の伝記『唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)』(779年成立)では、天平勝宝5年12月12日(754年1月9日)遣唐使一行が阿児奈波島(おきなわじま/あじなわじま/あこなはじま)に漂着したと記されており、この島は沖縄本島のことを指していたという[9]。のちに中国による呼称の琉球と呼ばれるようになったようである。この琉球の語源についてもまだ明らかになっていない。
琉球処分の際、明治政府内では「琉球県」の名称も検討された。これは1879年(明治12年)、琉球藩を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の伊藤博文から太政大臣の三条実美に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、中国語由来の琉球に対し、沖縄のほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと推察できる。用語としての「沖縄」は元々は沖縄本島を指す言葉であったが、沖縄県設置により鹿児島県奄美群島を除く琉球諸島全域が沖縄と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった[10]。
地理・地域[編集]
国土交通省による日本の14地域区分の1つである沖縄は、沖縄県1県のみから成る[11]。なお、「九州地方」の一部または「九州・沖縄地方」と呼ぶ場合もある。(九州・「九州」の由来参照)国土交通省は、「沖縄本島」を、「本土」5島の一つとしている[12][13]。 国土地理院、海上保安庁によると、沖縄県は363の島から成っている[1]。49の有人島と多数の無人島からなり、0.01km2以上の面積を有する島は160島存在する[14]。最東端から最西端までは約1,000km、最北端から最南端までは約400kmと、広大な県域を持つ[15]。 南西諸島は鹿児島県から台湾近くまで長く延びており、地理的分布では北のトカラ列島までと、奄美群島と沖縄諸島および先島諸島の3つに大きく分けられる。
沖縄本島と宮古島の間は宮古海峡と呼ばれ最狭区間でも約145海里(約270km)の距離があり、そのうち約48海里(約89km)が領海と接続水域になっており、残りの約97海里(約97km)が排他的経済水域になっている。
与那国島と台湾の間は約54海里(約100km)である。
島 | 所属自治体 | 備考 | 位置 | |
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最北端 | 硫黄鳥島 | 久米島町 | 有人島に限れば伊平屋島[17] | |
最南端 | 波照間島 | 竹富町 | 日本最南端の有人島[18] | |
最東端 | 北大東島 | 北大東村 | ||
最西端 | 与那国島 | 与那国町 | 日本最西端の島[19] |
離島が多いものの、離島の医療は人材的・経済的理由から不足気味であり、病院がなく診療所のみという島も多い。そのため、離島で治療できない急患患者の沖縄本島への空輸を陸上自衛隊や海上保安庁が行っている。なお、宮古島、石垣島には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。
県庁所在地である那覇市の半径1,000km圏内には九州島全域や下関市、上海、福州や台湾島全域が含まれ、1,500km圏内には大阪、南京、ソウル、平壌、マニラ、香港などが位置する。2000km圏内には東京、仙台、北京、瀋陽、海南省海口市、長春、ウラジオストク等が存在し、2500km圏内には稚内、成都、重慶、ハノイ、グアム、北マリアナ諸島、パラオが収まるなど、まさに東アジア・東南アジアと日本との接点とも言える位置にある。
沖縄本島の中部・南部は那覇市・沖縄市を中心として都市化・人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している(沖縄本島#中南部都市圏 も参照)。その上、治外法権の米軍基地が多数存在しており、利用できる面積はさらに限られる。そのため人口密度は全国で第9位であり、三大都市圏の都府県を除くと福岡県に次いで2番目に高い。
地質[編集]
琉球諸島は太平洋側の琉球海溝と東シナ海側の沖縄トラフに挟まれる。琉球海溝はフィリピン海プレートがユーラシアプレートに潜り込むことによりできたもので、これは南海トラフと同様の成因である。また背海盆沖縄トラフはユーラシアプレートが新しい時代に引き裂かれて陥没した1000?2000mの窪みであり熱水鉱床などがみられる。地質的には琉球列島(諸島)のうち沖縄島と奄美大島はケラマ海裂とトカラ海峡とに挟まれた中琉球と呼ばれ、島は海洋地殻の上に海洋地殻の付加体(海洋地殻の陸側斜面となるユーラシア・プレートの下にフィリッピン海プレートが沈み込むときに、海溝の陸側斜面ユーラシアプレートの端に押し付けられて隆起した海洋地殻の上の堆積物)で構成され、さらに3億?5000万年前の古い付加堆積物で作られる沖縄島北側と、500万年前に作られた現地性堆積物により構成される沖縄島南側に大きく分けられる。
自然[編集]
- 生物
- 亜熱帯で生物に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には山原と呼ばれる森林が広がっており、ノグチゲラ、ヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネといった天然記念物等貴重な生物が生息している。山原と沖縄本島の海岸線の一部、慶良間諸島等が沖縄海岸国定公園に指定されている。西表島一帯および石垣島の一部が西表石垣国立公園に指定されており、マングローブ林が広がるほか、イリオモテヤマネコ等の貴重な生物が生息している。なお、環境省が指定する日本の重要湿地500のうち、55ヶ所が沖縄県内にある。これは、北海道(61ヶ所)に次いで日本で2番目に多い。
- 大雨と水不足
- 2005年(平成17年)から2007年(平成19年)各年の6月に梅雨前線の影響で大雨と雷が沖縄本島を襲い、各地で冠水、土砂崩れ、崖崩れ等が相次いだ。平年値では年間を通じて降水量が多いが、梅雨と台風による降雨が多いこと、年による変動が大きいこと、大きな河川がなくすぐに海に流出してしまうことなどから、気候・地形的に水不足に陥りやすい[20]。また、1946年に約51万人だった人口が、本土復帰の1972年(昭和47年)に約96万人と増加し、需給関係から1990年代前半までしばしば水不足による断水が行われた[21][22]。特に1981-1982年の渇水では日本最長の326日間にわたって給水制限が実施された。そのため、屋根の上などに給水タンクを設置している家が多い。しかし、沖縄本島北部から南部への導水が進み、また1997年(平成9年)に気候に左右されず安定して水の供給が可能な海水淡水化施設が北谷町に完成し[23]、2005年(平成17年)に県人口が約136万人と増加したものの、断水に見舞われることは減った。
- 地震
- 「地震大国」と言われる日本において、九州などと同じく、一年あたりの(有感)地震回数が少なく、また気候や人口密度などの面から最も地震に関するリスクが少ない地域の一つとされていた(地震の発生度や発生時の被害の大きさを示す地震地域係数が日本で唯一「0.7」の都道府県となっているが、この値は後年見直される可能性もある)。しかし、損害保険料率算出機構の最新の統計集では2等地となっており、特段リスクが低い地域と見なされなくなった。過去には1771年の八重山地震による大津波で、先島諸島に多大な被害が生じている。最近では2010年(平成22年)の沖縄本島近海で発生した地震で約100年ぶりに沖縄本島で震度5以上を観測し、勝連城跡の城壁の一部が崩壊した[24]。
気候[編集]
那覇市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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日本国内における気候区分では南日本気候に属する。
宮古島・多良間島・石垣島・西表島・与那国島・波照間島・沖大東島は熱帯性気候でケッペンの気候区分では熱帯雨林気候 (Af) に、それ以外の地域では亜熱帯性で温暖湿潤気候 (Cfa) に属する。沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は2,000mm以上で、年間平均気温は約22°Cとなっている。しかし、最高気温が35℃を超える猛暑日になることはほとんど無い[25]。これは、沖縄は陸地面積が狭く周りを海に囲まれていること(海洋性気候)から、フェーン現象や晴天弱風と都市化がもたらす大規模なヒートアイランド現象のような要因がないためである(但し都市部での小規模なヒートアイランド現象の研究報告はある)。また沖縄は台風銀座と呼ばれており、毎年多くの台風が接近する。月別で注目すると、降水量は梅雨入りの平均期間である5月と台風が多く接近する8月に多い。また、日照時間は7月に長く、冬期の1月・2月では短い。梅雨明け頃には、夏至南風(沖縄本島ではカーチーベー、宮古・八重山周辺ではカーチーバイ[26])と呼ばれる秒速10m以上の南寄りの強い風が吹き、夏の到来を告げる季節風として知られている[27]。
降雪[編集]
冬期に降雪があることはごくまれであるが、1977年(昭和52年)2月17日に久米島で、2016年(平成28年)1月24日に久米島と名護市でそれぞれみぞれ(気象記録上は雪と同じ扱い)が観測された[28]。気象庁が公式に発表した沖縄県での降雪記録はこの2例のみで、久米島での降雪は日本における降雪の南限記録である[29]。
観測開始以前においては、琉球王国の正史とされる『球陽』によると、1774年、1816年、1843年、1845年、1857年にそれぞれ現在の沖縄県の領域で降雪があったことを記録している[30]。
なお、昭和38年1月豪雪では県内各地で霜・あられ・ひょうなどが観測されており農作物への被害も発生している[31]。
1999年(平成11年)12月20日とその前後に那覇市などで「雪が降った」という目撃談が複数報告され、NHK沖縄放送局でもその「雪らしきもの」の映像を放送したが、気温が高かったことなどから気象台は否定的で[32][33]、公式な降雪記録とはなっていない。
平年値 (月単位) |
沖縄諸島 | 大東 諸島 |
宮古諸島 | 八重山諸島 | ||||||||||||||
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沖縄本島 | 伊 是 名 島 |
渡 嘉 敷 島 |
久 米 島 |
南 大 東 島 |
宮 古 島 |
多 良 間 島 |
石垣島 | 西表島 | 波 照 間 島 |
与 那 国 島 |
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国頭村 奥 |
名護市 | 金武町 | 那覇市 | 南城市 糸数 |
登野城 | 伊原間 | 祖納 | 大原 | ||||||||||
気候区分 | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Af | Af | Af | Af | Af | Af | Af | Af | |
平均 気温 (°C) |
最暖 月 |
26.7 (7月) |
28.8 (7月) |
28.6 (7月) |
28.9 (7月) |
27.1 (7月) |
28.3 (7月) |
26.7 (7月) |
28.8 (7月) |
28.5 (7月) |
28.7 (7月) |
29.0 (7月) |
29.5 (7月) |
28.8 (7月) |
28.9 (7月) |
28.9 (7月) |
28.9 (7月) |
28.8 (7月) |
最寒 月 |
14.5 (1月) |
16.3 (1月) |
16.2 (1月) |
17.0 (1月) |
15.2 (1月) |
16.1 (1月) |
15.3 (1月) |
16.7 (1月) |
17.7 (1月) |
18.0 (1月) |
18.4 (1月) |
18.6 (1月) |
18.3 (1月) |
18.3 (1月) |
18.0 (1月) |
18.8 (1月) |
18.4 (1月) |
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降水量 (mm) |
最多 月 |
309.5 (6月) |
248.2 (8月) |
228.8 (5月) |
260.5 (9月) |
253.3 (6月) |
269.9 (6月) |
268.8 (5月) |
263.9 (6月) |
200.6 (5月) |
262.5 (8月) |
249.6 (8月) |
261.6 (8月) |
250.6 (9月) |
273.6 (8月) |
284.1 (8月) |
197.7 (9月) |
293.2 (9月) |
最少 月 |
138.3 (12月) |
96.2 (12月) |
78.3 (12月) |
102.8 (12月) |
111.7 (1月) |
97.5 (12月) |
124.1 (12月) |
119.0 (7月) |
84.7 (1月) |
130.8 (1,7月) |
127.2 (12月) |
126.3 (12月) |
122.3 (7月) |
141.6 (7月) |
137.6 (3月) |
106.2 (12月) |
138.5 (7月) |
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日照 時間 (時間) |
最長 月 |
239.2 (7月) |
245.7 (7月) |
218.1 (7月) |
238.8 (7月) |
210.1 (7月) |
289.8 (7月) |
230.5 (7月) |
255.4 (7月) |
278.8 (7月) |
246.7 (7月) |
199.1 (7月) |
264.5 (7月) |
245.6 (7月) |
253.2 (7月) |
245.4 (7月) |
259.3 (7月) |
258.9 (7月) |
最短 月 |
78.3 (1月) |
86.2 (2月) |
88.3 (2月) |
87.1 (2月) |
93.0 (2月) |
91.5 (1月) |
87.8 (1月) |
77.4 (2月) |
114.5 (2月) |
82.6 (2月) |
73.9 (1月) |
82.1 (2月) |
70.5 (1月) |
74.5 (1月) |
86.5 (2月) |
91.9 (1月) |
55.7 (1月) |
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島嶼[編集]
島嶼名 | 面積 (km2) | 島嶼名 | 面積 (km2) | ||
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1 | 沖縄本島 | 1,206.98 | 11 | 多良間島 | 19.81 |
2 | 西表島 | 289.61 | 12 | 渡嘉敷島 | 15.31 |
3 | 石垣島 | 222.25 | 13 | 伊是名島 | 14.12 |
4 | 宮古島 | 158.87 | 14 | 波照間島 | 12.73 |
5 | 久米島 | 59.53 | 15 | 北大東島 | 11.93 |
6 | 南大東島 | 30.53 | 16 | 黒島 | 10.02 |
7 | 伊良部島 | 29.06 | 17 | 下地島 | 9.68 |
8 | 与那国島 | 28.95 | 18 | 小浜島 | 7.86 |
9 | 伊江島 | 22.76 | 19 | 屋我地島 | 7.82 |
10 | 伊平屋島 | 20.66 | 20 | 粟国島 | 7.62 |
出典:国土地理院(2016年10月1日現在)[35] |
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自然公園[編集]
地形[編集]
- 山岳
- 河川
本県の河川の特徴としては、急勾配でかつ、河川延長が短く、流域面積が小さいことが挙げられる[38]。その為、河川流量の変動が顕著で、大雨による増水、少雨による水不足に陥りやすい。またマングローブ林など日本本土と異なる亜熱帯特有の自然環境を形成している[39]。現在、沖縄本島北部では赤土の流出、中南部では畜舎からの排水等の影響による河川汚染が問題となっている[40][41]。
本県には国内で唯一、一級河川が存在しない。二級河川の開発は知事の要請に基づき沖縄振興特別措置法により、日本政府の直轄事業として改良・修繕工事を行っている[42]。
- 浦内川 - 沖縄県最長の川でマリユドゥの滝などを有する。
- 湖沼・干潟等
地域区分[編集]
1896年(明治29年)4月1日の郡制施行に伴い、国頭郡、中頭郡、島尻郡、宮古郡、八重山郡の5郡が設置された。現在もその旧郡の境界をもって5地域(5地区)に分ける慣例が残っている。ただし、島尻郡が沖縄本島周囲の離島全てを含む形となっているため、伊平屋島と伊是名島は旧島尻郡の中心の那覇から遠くなっており、航路で近い国頭郡の枠に入れる例が多い。
行政による地域区分では、旧郡による5地地域において中頭地区に入る浦添市を南部広域市町村圏に入れている。また、島尻郡の離島は別扱いとなる。
沖縄県は11市・5郡・11町・19村あり、町は全て「ちょう」、村は全て「そん」と読む。
沖縄諸島[編集]
- 北部広域市町村圏
旧国頭郡の範囲に、島尻郡の伊平屋島と伊是名島を加えた範囲。旧郡の名称から「国頭地区」とも呼ばれる。
- 中部広域市町村圏
旧中頭郡の範囲から浦添市を除いた範囲。
- 南部広域市町村圏
沖縄本島にある旧島尻郡部分に浦添市を含めた範囲。以前は宜野湾市、西原町も中部ながら南部広域圏に属していた。また西原町も南部広域圏には属していないものの一部の事務組合には南部と合同になることもある。
- 離島
いずれも島尻郡、南部広域市町村圏に属しており、「南部離島」とも呼ばれる。
先島諸島[編集]
- 宮古支庁
旧宮古郡の範囲
- 八重山支庁
旧八重山郡の範囲
米軍基地[編集]
2017年現在、在日米軍の専用施設は沖縄本島の総面積の15%を占めている[43][44]。
歴史[編集]
古代 『続日本紀』には、文武天皇2年(698年)に朝廷の命により、務広弐文忌寸博士が南島(なんとう)(南西諸島)に派遣されたとある。このときの文忌寸博士の任務は屋久島、種子島、奄美大島の朝貢関係を確認することにあり、文武天皇3年(699年)に多?・掖玖・菴美・度感から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載がある。これ以降、朝廷は種子島に国司を派遣するとともに、久米島や石垣島にも服属を求める使者を派遣している。和銅8年(715年)には南島の奄美・夜久・度感・信覚・球美の島民が来朝し貢上したという記載があり、蝦夷の人々とともに南島の人々に位階を授けたとある。他にも養老4年(720年)に南島人232人に位を授け、また神亀4年(727年)に南島人132人に位階を授けた、などの記載がある
- 宣徳4年(1429年) - 尚巴志による三山統一。琉球王国が成立。
- 天順6年(1462年) - 尚円王により第二尚氏王統が成立。
- 弘治13年(1500年) - 尚真王、八重山諸島を征服。さらに嘉靖元年(1522年)には与那国島を征服し王府の支配下に置く。
- 慶長14年(1609年) - 薩摩藩による琉球侵攻。これ以降、琉球王国は薩摩藩の付庸国となり、薩摩藩への貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣した。奄美群島は王府の支配から切り離され薩摩の直轄地へ。
- 嘉永6年(1853年) - 黒船来航。ペリー率いる軍艦が那覇港に強制上陸して、武装した兵員を率いて上陸し、市内を行進しながら首里城まで進軍した。
- 明治5年(1872年)- 琉球処分により琉球王国が琉球藩に再編される。
- 1879年(明治12年)3月11日 明治政府は琉球藩を沖縄県としたが、琉球内ではそれを不服とし清に救援を求める人々もあった。日清の関係は悪化し、前合衆国大統領ユリシーズ・グラントによる助言もあり、1880年北京で日清の交渉が行われた。日本は日清修好条規に最恵国待遇条項の追加と引き換えに日本の先島諸島割譲(分島改約案)を提示したが、分島にたいする琉球人の反対や、清の国内事情から妥結にまでは至らなかった[45]。
- 1896年(明治29年)鹿児島大浜 - 奄美大島 - 沖縄本島間、翌1897年(明治30年)沖縄本島 - 石垣島 - 淡水(日本領台湾)、1912年(大正元年)石垣島 - 宮古島間に、電信海底ケーブル(1心鎧装)が敷設された[46]。1916年(大正5年)には、ドイツ帝国が布設した上海 - ヤップ間回線を第一次世界大戦により沖縄へと陸揚して那覇(沖縄) - ヤップ線を転用敷設[47]。
- 1945年(昭和20年)3月 - 6月沖縄戦、沖縄本島南部を中心に住民に多数の犠牲者が出る。同年4月1日以降米国海軍軍政府布告1号により米軍占領地域で順次日本政府の統治から切り離され県民はアメリカの統治下へ。
- 1945年9月20日、沖縄本島の収容所で行われた市会議員選挙で、女性に参政権が認められ選挙が行われた。[48]
- 1946年(昭和21年)1月GHQ覚書により連合国よりアメリカ軍政へ移管。
- 1946年(昭和21年)4月米軍は沖縄民政府を発足させ、沖縄諮詢会で互選された志喜屋孝信を知事に任命し、旧県会議員を主体に沖縄議会を設立。
- 1948年(昭和23年)10月「米国の対日政策に関する勧告に対する国家安全保障会議の諸勧告(NSC/2,3)」により米軍の沖縄恒久保持、基地の開発の方針が示される。
- 1949年(昭和24年)8月全沖縄的な群島政府が設立される。
- 1950年(昭和25年)12月琉球列島米国民政府(United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)とアメリカ軍政の沖縄統治機関の名称を変更。大規模な基地建設の開始。
- 1951年(昭和26年)4月マッカーサー元帥解任。
- 1952年(昭和27年)4月28日日本国との平和条約発効。
- 1970年(昭和45年)12月20日 - コザ暴動発生。
- 1972年(昭和47年)5月15日 - 日本に復帰する(沖縄返還)。「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」第3条により「従前の沖縄県は、当然に、地方自治法に定める県として存続するものとする。」と規定され、地方自治法が適用された。
- 1975年(昭和50年)7月 - 沖縄国際海洋博覧会開催された。その際皇太子明仁親王(当時)夫妻の沖縄訪問時にテロ事件が発生した。
- 1978年(昭和53年)7月30日 - 対面交通の変更。車両が右側通行から左側通行へ改められた。
- 1981年(昭和56年) 翌年にかけて日本最長の326日間にわたる給水制限が実施される。
- 1987年(昭和62年) 第42回国民体育大会開催。
- 1992年(平成4年) 11月2日 - 首里城正殿等を復元、首里城公園開園。
- 1997年(平成9年) 日米間で普天間飛行場の返還を含む基地移転案に基本合意。
- 2000年(平成12年)7月21日 - 第26回主要国首脳会議開催され、それを記念して二千円紙幣発行がされた。
- 2002年(平成14年)11月1日 - 世界最大(当時)の水族館沖縄美ら海水族館が新装開園。
- 2003年(平成15年)8月10日 - 沖縄都市モノレール線が開通した。
- 2012年(平成23年)9月11日 - 尖閣諸島国有化。
- 2013年(平成25年)12月27日 - 仲井眞弘多知事が米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立てを承認。
- 2014年(平成26年)知事選挙で仲井眞弘多が破れ、翁長雄志が知事に当選。
- 2015年(平成27年)普天間飛行場の辺野古移設を巡り県と国が法廷闘争を繰り広げる。工事を一時停止して協議するが9月に決裂し工事再開。
- 2016年(平成28年)裁判所の和解案に基づき政府と協議。9月16日、福岡高裁で辺野古移設に関して県の敗訴が確定。
人口[編集]
2015年度の国勢調査結果より前回の2010年度と比較して、沖縄県の人口は約4万人(2.9%)増加し、都道府県別で東京都(2.7%)を抜き全国で最も人口増加率が高くなった[49]。人口増加率は全国1位。人口別では初めて65歳以上人口が15歳未満人口を上回った。地域別で見ると沖縄本島の中部と南部で増加し、移住先として人気のある石垣島を除けば、沖縄本島北部と離島の大部分で減少している。国立社会保障・人口問題研究所は、2025年に143万3千人まで増加すると予測している[50]。2010年の自然増加率は人口千人あたり5.0人増と全国最高である[51] が、社会増加率は各年により増減が変動する[52]。また2010年度の合計特殊出生率は1.87人[51] と1975年度以来連続で全国1位を維持している[53]。2015年度国勢調査によれば、65歳以上の人口比率 (19.6%) が、調査開始以来、15歳未満 (17.4%) を上回った[54]。粗死亡率は男女ともに全国で最も低いが[55]、年齢調整死亡率は全国平均に近く[55]、特に成人男性は全国3位以上の年齢調整死亡率となっている[56]。沖縄県在住の外国人は、国籍別で2010年現在アメリカ(米軍とその関係者は含まれない。)が最も多いが、中国・韓国籍の外国人も増加傾向にある[57]。2015年度の国勢調査で、県内の外国人は11,020人となり、2010年度より3,369人 (44%) 増加している[54]。
なお人口統計には含まれない在沖米軍人・軍属・家族数は2013年度現在47,300人にのぼる。
2016年度の沖縄県への入域観光客統計は年間8,613,100人で過去最高を記録し一日平均で約23,500人になる。
また本土から赴任した自衛官や国の出先機関の出向公務員も多数存在するために、これらを含めると見かけ上の人口は統計よりも7?10万人も多い。
沖縄県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 沖縄県の年齢・男女別人口分布(2005年) | ||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 沖縄県
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
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沖縄県(に相当する地域)の人口の推移
|
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総務省統計局 国勢調査より |
政治・行政[編集]
知事[編集]
沖縄県公選知事 | |||||||
代 | 氏名 | 在職期間 | 期 | 出身地 | 最終学歴 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 屋良朝苗 やら ちょうびょう |
1972年(昭和47年)5月15日 - 1976年(昭和51年)6月24日 |
2 | 中頭郡読谷村 | 広島高等師範学校卒業 (現・広島大学) |
||
2 | 平良幸市 たいら こういち |
1976年(昭和51年)6月25日 - 1978年(昭和53年)11月23日 |
1 | 中頭郡西原町 | 沖縄師範学校卒業 | ||
3 | 西銘順治 にしめ じゅんじ |
1978年(昭和53年)12月13日 - 1990年(平成2年)12月9日 |
3 | 島尻郡知念村 (現・南城市) |
東京大学法学部卒業 | ||
4 | 大田昌秀 おおた まさひで |
1990年(平成2年)12月10日 - 1998年(平成10年)12月9日 |
2 | 島尻郡具志川村 (現・久米島町) |
米・シラキューズ大学大学院修了 | ||
5 | 稲嶺恵一 いなみね けいいち |
1998年(平成10年)12月10日 - 2006年(平成18年)12月9日 |
2 | 関東州大連 (現・中国・遼寧省大連市) |
慶應義塾大学経済学部卒業 | ||
6 | 仲井眞弘多 なかいま ひろかず |
2006年(平成18年)12月10日 - 2014年(平成26年)12月9日 |
2 | 大阪府大阪市 | 東京大学工学部卒業 | ||
7 | 翁長雄志 おなが たけし |
2014年(平成26年)12月10日 - 現職 |
1 | 真和志村(現:那覇市) | 法政大学法学部卒業 |
組織・庁舎[編集]
議会[編集]
沖縄県議会議員選挙は統一地方選挙では実施されない数少ない都道府県議会議員選挙の1つである(他は東京都、茨城県、岩手県、宮城県、福島県)。これは、日本復帰後の選挙が1972年(昭和47年)6月25日に行われたことによるためで、東京・茨城は議会の解散、岩手・宮城・福島は東日本大地震による延期のためであり、事情が異なる。
財政[編集]
2015年度[編集]
- 標準財政規模 3567億9084万円
- 財政力指数 0.29(都道府県平均 0.47)
- 財政力指数が0.3未満のEグループ(11自治体)に分類されている
- 経常収支比率 95.1%(都道府県平均 94.6%)
- 財政の硬直化が進んでいることを示す指標である
- 将来負担比率 81.3%(都道府県平均 210.5%)
- 実質公債費比率 12.2%(都道府県平均 14.1%)
- 人口100,000人当たりの職員数 1,412.52人(都道府県平均1,110.90人)
- ラスパイレス指数 107.0(都道府県平均 107.4)
- 地方債残高
- 普通会計分の地方債現在高 6829億9400万円
- 上記以外の特別会計分の地方債(企業債)現在高 1541億800万円
経済・産業[編集]
産業[編集]
沖縄県は日本屈指の観光立県でありサービス業が発達していて県経済の中心になっている。また観光以外に目立った産業のない沖縄県は、在日米軍基地が生み出す経済(軍雇用者所得、軍用賃借料、米兵向け商店・飲食店など)に依存している側面があり、経済依存度は、1972年の15.5%から低下したものの、現在でも5.7%を占めている。米軍基地内には、オフィスや病院、ショッピングセンターなどの施設があり、約9000人前後の県民が基地施設に勤務していて、沖縄県庁に次ぐ大口の就職先になっている。
沖縄県の産業構造は、全国に比べて第2次産業のウエイトが低く、第3次産業のウエイトが高いことが特徴であるが、この傾向は、復帰以降全く変わっていない。平成25年度の県内総生産に占める第2次産業及び第3次産業の割合は、それぞれ13.9%及び84.4%となっており、全国の24.4%及び73.9%と比べその差異は明らかである。特に、製造業の割合は、全国が18.4%に対し沖縄県は4.2%とその差異は極めて大きい。 また、政府サービス生産者(公的な電気・ガス・水道業や公務等の経済活動)の割合が沖縄県(平成25年度)では16.0%と高い。この高い割合は、復帰以降続いているものである[58]。
2014年(平成26年)度の県内総生産は4兆1749億円で、前年度と比較した経済成長率は、1.5%増加した。名目は3.5%増の4兆511億円で、それぞれ6年連続のプラス成長だった[59]。平成26年度の一人あたり県民所得は212万9000円(全国平均は286万8000円)である。失業率は日本一高いが2016年には沖縄の完全失業率は23年ぶり3%台に低下した。
離島県であることから、生産できない生鮮食品・家電製品・自動車等、他都府県から移入する必要があるものは輸送費の分だけ本土に比べ割高となってしまう。そのため、本土の地方と比べて、特別物価が低くはなっていない。
農業・漁業[編集]
農業では日本唯一の熱帯・亜熱帯性気候を生かし、マンゴー、アセロラ、パイン、ドラゴンフルーツ等のトロピカルフルーツや、サトウキビ、タバコ、ゴーヤー(ニガウリ)といった農作物が生産されている。
漁業ではマグロ、イカ、ブリ、タカサゴ、アジ、アカハタなどの他クルマエビの養殖も盛んである[60]。
畜産業では、養豚が古くから盛んに行われ沖縄固有品種アグーが有名。またヤギやウシも生産されている。
工業・鉱業[編集]
製糖・飲料・食料品製造等の製造業やセメント製造を中心とした窯業・土石製品製造業があるがいずれも小規模である。
沖縄本島の本部半島には良質な石灰岩が存在し、セメントの原料や砕石・砕砂の原料として採掘されている。沖大東島や北大東島にはかつて燐鉱石が豊富に存在していたが、現在では採掘され尽くしており枯渇している。
沖縄本島沖の海底には国内最大規模の熱水鉱床が広がっており、銅、亜鉛などのほか、ガリウムやビスマスなどレアメタルを含むため、次世代の海洋資源として試掘調査が活発化している。
東シナ海の海底には推定埋蔵量約1000億バレルに上る天然ガスや石油が眠っており、日中中間線周辺では中国との領有権争い(東シナ海ガス田問題を参照のこと)が生じている。
植物資源を燃料に充てられるバイオエタノールが脚光を浴び、県産サトウキビが原料として注目されていたが採算性悪化で撤退している。
観光業[編集]
本県の主な産業として、伝統・歴史・自然・食・国際色を生かした観光業が挙げられる。ただし、これらの観光業は景気に左右されやすい。 沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の海水浴場の多くは、ワイキキビーチと同様に人工海浜であり、観光資源ではあるが「沖縄の自然」ではない。観光客数は国内外合わせて5,690,000人(国内:5,443,800人、海外:246,200人)[61] である。訪れる外国人観光客は、台湾 (75%)、米国 (11%)、韓国 (4%)、香港 (2%)、中国 (2%) という比率になっている[62]。米国からの観光客は、米軍基地関係者が多く含まれる。
2000年(平成12年)に主要国首脳会議が行われたのをきっかけに、国際会議、コンベンションといったイベント開催地としての体勢作りを進めている。また県はスポーツアイランド構想を掲げエコツーリズムも活発化している。
情報[編集]
1998年(平成10年)から「沖縄県マルチメディアアイランド構想」に基づき、海底ケーブルの陸揚げ本数が多いことから IX (Internet Exchange) の語に掛けて IT Exchange 等の呼びかけを行いコールセンターやIT企業の優遇策による誘致を活発に行っている。その一方で内外から施設は立派であるが内容が伴わないとして箱物行政といった批判も多い。
2010年代頃からスマートフォンアプリの開発業も盛んになっている。
優遇税制・特例[編集]
経済振興のため、数々の特例[63] が設定されている。
- ガソリン税(本土より1リットル当たり7円引き)や、沖縄自動車道の通行料金(本土より約4割引)などが軽減されている。
- 沖縄県発着の航空便に関しては、航空機燃料税が50%減免されていることもあり、県外の同一距離路線に比べて5000円程度安くなっている[64] ため、結果として観光客誘致にも寄与している。
- 観光においては、観光戻税制度、のちの特定免税店制度が他県にはない特徴的な優遇税制である。
- 酒税の軽減措置がある(→泡盛、オリオンビール参照)。
- 2002年(平成14年)4月に施行された沖縄振興特別措置法により、IT関連企業、金融関連企業の誘致を行っている。税制上の優遇(法人税の控除、特別土地保有税の非課税、事業所税の課税標準の特例)と大地震等の災害の可能性の低さを理由に、いくつかの企業が特別地区への移動を行っている。
企業[編集]
県内では、本州等で展開している企業の地域会社が多数存在する。
- 電気通信事業者
- 電気通信事業者では、携帯電話の au のサービスを提供する地域会社として沖縄セルラー電話がある。この会社は沖縄県の経済振興を目的として設立された企業であることから、同社の過半数株式を所有する KDDI だけでなく、地元企業の沖縄電力のほか県内の財界人・有力企業も出資している。沖縄県独自のサービスも展開していることもあり、県内では他県での市場占有率が首位のNTTドコモを抑えている(2005年(平成17年)現在の市場占有率は49%)。なお、同社は政治的な配慮によりドミナント規制対象外だったが、のちに au 本体 (KDDI) が対象となっている。
- また、アステルグループのPHSサービスを提供していた沖縄電力グループの旧アステル沖縄を引継ぎ、2005年(平成17年)1月25日に事業を開始したウィルコム沖縄(本州などでPHSサービスを提供するウィルコム(旧DDIポケット)の子会社)がある。
- 酒類
- ビールメーカーとして県内で大きな市場占有率を持つオリオンビールが存在する。なお、同社は県内における酒税減免措置にのった県内市場の高い占有率を成しているが、日本全体で見た場合の市場占有率は1%程度であるため独占禁止法に抵触しないとされる。
- 新聞
- 新聞は輸送事情の関係から、本土の全国紙は現地印刷が開始された日本経済新聞を除き、当日の朝に配送することが不可能なため(本土における夕刊配達の時間帯に朝刊が配達される状態)、地方紙である沖縄タイムスおよび琉球新報が購読率の大半を占めている。
- 金融
- 金融機関は、店舗数では県内の地方銀行のほか郵便局(ゆうちょ銀行)やJAバンク(JAおきなわ)が圧倒的である。都市銀行については、みずほ銀行那覇支店が店舗として唯一存在する(宝くじ販売の関係上)ほか、三菱東京UFJ銀行が、那覇市に法人営業所を設置しているのみである。県外の地方銀行は鹿児島銀行の沖縄支店が2015年になって設置された。
沖縄県に本社を置く主要企業[編集]
- 製造業
- 小売業
-
- サンエー(宜野湾市)
- 金秀商事(西原町)
- イオン琉球(南風原町)
- リウボウインダストリー(那覇市)
- 沖縄ファミリーマート(那覇市)
- ローソン沖縄(浦添市)
- メイクマン(浦添市)
- ホームセンタータバタ(うるま市)
- 南西石油(西原町)
- りゅうせき(浦添市)
- 一般電気事業
-
- 沖縄電力(浦添市)
- 卸売業
- 情報通信業
-
- ウィルコム沖縄(那覇市)
- CSKコミュニケーションズ(那覇市)
- 沖縄セルラー電話(那覇市)
- プロトソリューション(宜野湾市)
- 新聞業
- 放送業
- 金融業
- 運輸業
- ※バス会社については#バスを参照。
- 日本トランスオーシャン航空(那覇市)
- 琉球エアコミューター(那覇市)
- 沖縄岡崎運輸(那覇市)
- 沖縄交通(那覇市)
- 建設業
- 観光業
- 飲食業
-
- A&W沖縄(宜野湾市)
沖縄県に拠点事業所を置く主要企業[編集]
- 工場
-
- 日本鉄工(糸満市)
生活・交通[編集]
警察[編集]
交通[編集]
空港[編集]
島嶼県であるという事情から、県外への移動や県内離島間の移動は空路が主に利用されている。県内には、以下の表の空港と伊是名場外離着陸場があるほか、在日米軍が基地として利用する嘉手納飛行場、普天間飛行場などがある。
空港 | 旅客合計 | 国内線 | 国際線 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
旅客数 | 定期便 | 旅客数 | 定期便 | |||
那覇 | 13,666,846人 | 13,387,304人 | 本土 | (花巻)・仙台・福島・ 羽田・成田・(新潟)・ 小松・中部・伊丹・ 関西・神戸・岡山・ 広島・高松・松山・ 高知・北九州・福岡・ 熊本・長崎・宮崎・ 鹿児島・奄美・与論 |
276,542人 | ソウル・ 上海・ 台北・ 香港 |
県内 | 北大東・南大東・ 粟国・久米島・宮古・ 石垣・与那国 |
|||||
チャ | 沖永良部・伊是名・ 伊江島 |
|||||
石垣 | 1,890,802人 | 1,890,013人 | 本土 | 羽田・関西・神戸 | 789人 | - |
県内 | 那覇・宮古・与那国 | |||||
チャ | 波照間 | |||||
宮古 | 1,121,221人 | 1,121,221人 | 本土 | 羽田・関西 | 0人 | - |
県内 | 那覇・石垣・多良間 | |||||
久米島 | 261,256人 | 261,256人 | 本土 | (羽田) | 0人 | - |
県内 | 那覇 | |||||
与那国 | 78,585人 | 78,585人 | 県内 | 那覇・石垣 | 0人 | - |
多良間 | 36,065人 | 36,065人 | 県内 | 宮古 | 0人 | - |
南大東 | 35,749人 | 35,749人 | 県内 | 那覇・北大東 | 0人 | - |
粟国 | 14,326人 | 14,326人 | 県内 | 那覇 | 0人 | - |
北大東 | 13,646人 | 13,646人 | 県内 | 那覇・南大東 | 0人 | - |
慶良間 | 3,625人 | 3,625人 | - | - | 0人 | - |
波照間 | 3,621人 | 3,621人 | チャ | 石垣 | 0人 | - |
伊江島 | 555人 | 555人 | チャ | 那覇 | 0人 | - |
下地島 | 0人 | 0人 | - | - | 0人 |
- 出典:国土交通省航空局・空港管理状況調書 (PDF) (2005年度)
- 就航先は2008年(平成20年)4月1日現在
- チャーター便の旅客数含む
- 括弧は通年運航ではない(季節運航もしくは運休期間がある)路線を示す
- 三大都市圏への航空路は太字で表記
鉄道路線[編集]
太平洋戦争前には沖縄本島に沖縄県営鉄道、沖縄電気(路面電車)、沖縄軌道、糸満馬車軌道が存在したが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道はバスの台頭により廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も沖縄戦で破壊され消滅した。戦後は長らく鉄道路線が存在しなかったが、2003年(平成15年)に沖縄都市モノレール線(ゆいレール)那覇空港 - 首里間が開業した[65]。
2013年現在、2006年(平成18年)に明らかになった那覇 - 名護間に鉄道を建設する構想は、建設費を日本国政府が一部(または全部)負担することを除き、建設や運営の主体や手法などについて調査・検討中である[66]。また南大東村では、観光客の増加を図ることが目的に、1983年までサトウキビを運搬するために島内を運行していた鉄道「シュガートレイン」の復活を計画している[67]。
全都道府県の中で唯一、JR各社の路線が敷設されていない。これは国鉄時代から同様であるが、鉄道小荷物については琉球海運などとの連絡運輸により取り扱いが行われていた[68]。なお、かつては那覇市に九州旅客鉄道(JR九州)沖縄支店が設置されていたが、2017年3月17日をもって閉店したため、JRの営業拠点が全く存在しなくなった。
このほか、鉄道事業法に準拠する索道としては2016年4月1日に宮古島のシギラリゾート内にリフトが設置されている[69][70]。
バス[編集]
沖縄本島では那覇市内の沖縄都市モノレール(ゆいレール)以外に鉄道がないため、都市内および都市間を結ぶ交通機関として、島内各地にバス路線網が展開されている[71]。また、石垣島や宮古島でも島内の交通機関としてバス路線網がある。
ほかに、島の港・空港・中心集落・観光地を結ぶ交通手段として、小規模な路線バスの運行が行われている島も多い。
また、沖縄県は、日本で唯一、国鉄バス→JRバスの定期旅客営業路線が歴史上において存在したことのない都道府県である。
- 一般乗合・一般貸切兼業
- 宮古諸島
- 一般貸切専業
- 沖縄本島
- 中部観光バス
- 大東交通
- ワールドトランス
- 平安座総合開発
- 沖宮観光バス
- 結
- サクシードプランニング
- 美ら島
- 國和第一ハイヤー
- 翔陽
- 沖縄南観光
-
- ハイウエイ沖縄
- 太陽交通
- カリー観光
- ロケーションファースト
- アンドインディー
- フジさくら観光
- Island Limousines
- タワダロケーションサービス
- ダイトウ
- 沖縄ツーリスト
- 特定
道路[編集]
- 本土復帰後、1978年(昭和53年)7月29日までは、車輌は右側通行だった。※ 730 (交通)も参照。
- 沖縄本島、特に那覇都市圏では渋滞が激しく、県内の1km当たりの渋滞損失額は三大都市圏の都府県に次いで大きい[72]。
- 他の都道府県と比べ県の特性上、レンタカーを示す「わ」ナンバーや「れ」ナンバー、米軍関係者の使用車であることを示す「Y」ナンバーや「A」ナンバーの車が非常に多い。
- 県の自動車保有台数は約100万台である。
- 高速道路
- 一般国道
- 県道
港湾[編集]
航空機を使うまでもない近接離島間の移動には、船舶が広く利用されている。石垣市の石垣港は、中国と台湾との中継港として使われている。
医療・福祉[編集]
教育[編集]
2007年度より開始された小学6年生および中学3年生を対象にした全国学力・学習状況調査では、2011年度、沖縄県は全ての科目で最下位[73] となったが、2014年度の調査では沖縄県は小学6年生算数で全国2位となった。
- 大学
- 沖縄大学(那覇市)
- 沖縄国際大学(宜野湾市)
- 沖縄キリスト教学院大学(西原町)
- 沖縄科学技術大学院大学(国頭郡恩納村、2011年設立)
- 短期大学
- 沖縄女子短期大学(那覇市)
- 沖縄キリスト教短期大学(西原町、沖縄キリスト教学院大学と併設)
- 高等専門学校
- 沖縄工業高等専門学校(名護市)
- 高等学校・中学校・小学校・その他の学校
以下の一覧記事を参照されたい。
マスメディア[編集]
新聞[編集]
2大県紙のシェアが併せて約7割弱に達し、先島諸島では独自の地元紙が発行される。全国紙(一般紙)は下記の事情もあり、他県と比べシェアが極めて低い[74]。2017年4月1日に八重山日報が沖縄本島版を発行した。
- 県紙
- 先島諸島のローカル紙
- 地方紙その他
西日本新聞も沖縄県の官公庁や図書館、および九州本土に本社を置く企業・法人の出先機関(沖縄支店など)に向けた事実上の「業務用」として新聞を発行していたが、2009年(平成21年)に発行を停止した。同新聞は1967年(昭和42年)-1977年(昭和52年)と2000年(平成12年)-2009年に那覇支局を設けていた。
- 全国紙
読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、日本経済新聞、産経新聞の各社が当県に総・支局を設置している。2008年(平成20年)11月1日より日経が琉球新報社への委託による現地印刷を開始し、全国紙では唯一、朝夕刊とも地元紙と同時に配達を行っている。なお、読売、毎日、朝日は東京本社版および西部本社版を、産経は大阪本社版がそれぞれ販売されている。これらの一般紙はいずれも発行地より空輸されるため、配達は当日の午後にずれ込む(前日の夕刊と同時配達)。また先島諸島や大東諸島については、全国紙だけでなく地方県域新聞2紙も印刷後空輸や船便で配送されるため、本島などから比べて朝刊の配達が遅れてしまう。
- スポーツ紙
スポーツ新聞は、日刊スポーツとスポーツニッポン(新報スポニチ)が当県で現地印刷を行っているが、両紙とも本州などで発行される新聞とは異なり、10?12ページで発行されている(沖縄県には公営競技の施設がないため公営競技面は掲載されていないほか、番組表も非掲載)。なお、那覇空港内や那覇市内の一部のコンビニでは、東京本社版の各紙が発行日当日に空輸され販売されているが、価格は定価より50円上乗せした180円となっている。
- 日刊機関紙
創価学会の機関紙・聖教新聞が当県で現地印刷を行っている。また日本共産党の機関紙・しんぶん赤旗は福岡県の印刷所で印刷されたものが空輸で送られ、全国紙と同様、昼過ぎからの配達となる他、大韓民国の宗教団体が運営する世界日報も、一般全国紙・スポーツ紙と同じく、東京で発行された新聞を空輸して午後に主要航空ターミナル・コンビニでの即売と、一部の一般紙(全国紙・地方紙問わず)への委託宅配という形をとっている[75]。このため番組表も首都圏のものに加え、沖縄県の先発2局[76] の当日昼?翌日朝の番組表を収録している。
放送局[編集]
- NHK沖縄放送局 - 旧沖縄放送協会
- 琉球放送 (RBC)(テレビ:JNN ラジオ:JRN)
- 沖縄テレビ放送 (OTV) (FNN/FNS)
- 琉球朝日放送 (QAB) (ANN)
- ラジオ沖縄 (ROK) (NRN)
- エフエム沖縄 (JFN)
- AFN - 在日米軍放送。本州や長崎県にある各局と違い、中波 (AM) ラジオだけでなくテレビおよびFMラジオでも番組を制作し放送している。
テレビ放送における特記事項[編集]
NHK受信料支払率は、平成23年度末の初公表において全国最低の42.0%であった。
- 先島諸島・大東諸島における特記事項
- 大東諸島では長らく県内のテレビ放送が受信できなかったため、アナログ放送では関東広域圏を放送対象とするテレビ局のうち日本テレビ・テレビ東京を除く各局の放送を、小笠原諸島向けに送信されている衛星回線を使用し中継していた(このほか、NHK衛星第1・NHK衛星第2テレビも地上波で中継)。なお、県内の話題については電話回線を利用した字幕情報が必要に応じて挿入されていた。その後、2011年(平成23年)初頭から敷設工事が進められた海底光ケーブルで送られてくる信号で沖縄本土からのテレビ放送波を送ることができるようになり、同年7月のNHK沖縄放送局・民放各局のデジタル中継局の開局によって、RBC は本島のテレビ放送開始から51年、OTV は本島の開局から52年、QAB は本島の開局から16年でようやく視聴可能になった(詳細は大東諸島#テレビを参照)。
- 先島諸島に関しても、テレビ放送の開始当初は先発3社4局(NHK・民放2チャンネルずつ)の中継局が整備されておらず、那覇本局からの電波を直接受信、ないしはケーブルテレビの中継回線を介した受信も技術的に不可能であったので、1993年12月の中継局開設までは在那地上波の受信が全くできなかった。そのため、宮古テレビ、石垣ケーブルテレビの自主放送で、在那局、及び東京・大阪のいわゆるキー局などからの番組販売を独自に購入した番組をネットするという状態が続いた。
- なお、琉球朝日放送 (QAB) は、1995年に開局後も先島諸島での中継局が整備されなかったため、宮古・石垣では引き続きケーブルテレビの自主放送によりテレビ朝日の番組を時差放送していたが、2009年(平成21年)10月21日にデジタル新局として QAB の中継局が設置され、本島の開局から14年でようやく視聴可能になった。これに伴い、宮古・石垣のケーブルテレビにおいても、中継局非設置の代替として、デジアナ変換[77] による補完再放送を行っていた。
- ネットワーク系列局の空白
- 県内には、日本テレビ・テレビ東京両系列の放送局が置かれていない(佐賀県と並び、クロスネット局を含めた日本テレビ系列が放送対象地域外となっている都道府県でもある)が、これらの系列各局により制作された番組の一部は県内の他系列に属する放送局で、ローカル枠で放送されている他、OTV では、日本テレビ系列が主催する毎年夏放送の『24時間テレビ』、『高校生クイズ』および年末年始の『高校サッカー』の中継(沖縄県大会および全国大会の沖縄県代表絡みの試合)にも参加している。
- 日本テレビでは、系列局のない県内におけるニュース取材を行う目的で日本テレビ那覇支局を設置している。なお、同局系列の系列局については1990年代に南西放送が開局予定だったが実現しなかった。
- 他県と隔絶しているゆえの事象
- 県内の全てのケーブルテレビ局では、アナログ・デジタルとも地形や技術上などの問題もあり、県外民放の再配信は一切行われていない。また琉球新報・沖縄タイムスの番組表も鹿児島県を含めた県外民放はラジオを含め一切掲載されていない[78]。
- その他
- 近隣のテレビ局と豊見城市にある送信所を直線で結ぶ位置にある沖縄県庁の庁舎は、電波の転送路を妨害しないよう[要出典]庁舎の屋上部分を曲線的に窪ませた形状となっている。
AMラジオ局について[編集]
沖縄本島北部・先島諸島および大東諸島では夜間?早朝を中心に近隣国の混信をまともに受けやすいため、FM電波を使って中継放送が行われている。
FMラジオ局について[編集]
FM沖縄は現在先島諸島、大東諸島では中継局がないため直接受信不可(なお宮古島では地元のコミュニティFM局が同局の一部の番組を放送)。NHK-FM は現在大東諸島では中継局がないため直接受信不可[79]。
またコミュニティFM局は県下全ての市にあり、2016年2月現在で計17局が放送を行っている。
インターネットラジオでの再放送[編集]
- radikoでは、沖縄県内の無料配信、及びそれ以外の県での有料会員制「radikoプレミアム・エリアフリー聴取」のサービスでは、RBC i-radioのみを配信しており、ラジオ沖縄、FM沖縄は現在もサービス対象ではないため聴取することができない。
- 但しFM沖縄については有料会員制のドコデモFM(auは「LISMO WAVE」)の会員登録を行った場合、スマートフォン限定であるが聴取することは可能である。
- NHKネットラジオ らじる★らじるでは、東京・名古屋・大阪・仙台(2016年9月以後は札幌・広島・松山・福岡が追加予定)の各放送局の県域放送を含むラジオ第1・2、FMが聴取できるが、沖縄県向けのローカル放送は対象外のため聴取できない。
コールサインについて[編集]
アメリカ合衆国の施政権下では KSxx を用いていたが、本土復帰(1972年(昭和47年))以降は JOxx を用いている。
ケーブルテレビ[編集]
- 沖縄県のケーブルテレビ局を参照。なお大東諸島にはケーブルテレビ局が現状[いつ?]ない。
文化・スポーツ[編集]
琉球王国成立以前から日本本土の影響を受けつつ、中国大陸や東アジアの文化も受け入れ、混ざり合う文化を築き上げてきた[80]。また太平洋戦争後から沖縄返還に至るまで、長期間米軍に統治されていたため、アメリカ合衆国の文化も多岐にわたって浸透している。
宗教[編集]
アニミズムを基本としており、本土の神道の原形(古神道)に近いと言われる。琉球神道とも言われ、本土の神社に当たるものとして御嶽がある。また、祖先崇拝の風も強く残る。
仏教は、王族や一部の上層階級が信仰するのみで、一般の農民にはほとんど浸透しておらず、葬式の儀礼の一部に用いられるにとどまった。現在でも仏教信徒の数は、本土に比べると極端に少ない。近年葬儀は一応仏式で行われるようになったが、本土のように宗派別の僧侶ではなく、無宗派の僧によって執り行われる場合が多い。また、僧とは別にユタを呼ぶ事例もある。
墓は、自然のほら穴等を使った岩陰墓や崖を掘り込んだ掘込墓から、中国の影響を受けた亀甲墓へと変わり、現在では破風墓が一般的である。また、遺骨の処理方法も風葬や洗骨をする独特の風習があったが、近年では保健所等の指導や婦人運動の結果、多くの地域で火葬が実施されるようになった。
戦後は、米軍の影響でキリスト教信仰も盛んである。その多くはプロテスタント派に属する。県内には約210か所のキリスト教会が存在し、全国で最もクリスチャン人口の比率が高い。
言語・方言[編集]
沖縄県で使われている言葉は大まかに以下の三つに分けることができるが、団塊の世代より後に生まれた世代の県民では共通語化が著しく、平成以降に生まれた世代の県民になると、琉球語だけでなく沖縄弁(ウチナーヤマトグチ)でさえも衰退が著しいが、特に強い保護政策等はとられていない。
- 琉球語 - 日本政府の立場としては、日本語の方言である琉球方言として扱われることが多いものの、ユネスコなどの国際機関の間では日本語とは異なる日本語族に属した独立した言語であるとされる。伝統的な沖縄の言語であるが、日常的な使用はほぼ高齢者層に限られる。明治から昭和中期まで方言札を使った強力な標準語普及運動が推進されたことに加え、本土復帰運動や戦後のマスメディアや学校教育の発展に伴いそれらを通じて、琉球語を軽視する反面、標準語に接する機会が圧倒的に増えたため、琉球語が使われることは非常に少なくなっており、特に平成以降に生まれた世代では大半が理解することすら難しいほど衰退している。おおまかに、国頭語(国頭方言)、沖縄語(沖縄方言)、宮古語(宮古方言)、八重山語(八重山方言)、与那国語(与那国方言)に分けられるが、それら諸言語(諸方言)の間でもそれぞれ別言語とされることがあるほどの違いがあり、いずれもユネスコにより絶滅危機言語とされている。
- ウチナーヤマトグチ - 沖縄県民の大半が日常的に使用する言葉であり、日本語の共通語を基盤に琉球語の要素を混合させた新方言とされる。沖縄弁とも言われる。しかし、ウチナーヤマトグチと言えども、平成以降に生まれた世代の沖縄県民において年齢が下がるほど衰退傾向が著しく、アクセント面で影響が残る程度となっており、語彙面では共通語と差異がほとんどみられない場合も少なくない。
- 日本語共通語 - マスメディア・学校教育や公的機関などで使われている。昭和初期までに生まれた高齢者層では琉球語、沖縄弁、共通語とのトライリンガル、戦後から昭和末期までに生まれた世代では沖縄弁と共通語のバイリンガルが大半であり使い分けができる。一方、平成以降の生まれの世代においては共通語とほぼ変わらない言葉を話す傾向が強く、ほぼ共通語のみのモノリンガルに近い。また年々その傾向も年齢が下がるにつれて強くなりつつある[81]。このように、日本国内でも特に共通語化が進みつつある地域とされており、危惧されている。
- 英語 - アメリカの統治下にあった沖縄では英語が事実上[82] の第二公用語であった。現在でも英語教育を受けた高齢者や米軍基地内で従事して働く軍雇用員・米軍や兵士相手の商売をしている者・米国人と結婚した家族の間では英語を解す人は多い。
人種・民族[編集]
沖縄の地に先祖を持つ人々は、地理的・歴史的・文化的な経緯から一般的に琉球民族と称される。人種的には先史時代から10世紀にかけて南九州から移入したとされ、分子生物学の研究でも本土と遺伝的に近いことが確かめられている。北琉球と呼ばれることもある沖縄諸島の住民は、分子生物学的(Y染色体による系統分析)にほぼ九州、本州、四国の住民と同じである。 日本政府は琉球民族を沖縄の「先住民族」とは認定していないが、ユネスコは沖縄に特有の民族性、歴史、文化、伝統を有することを認めている。 沖縄復帰後に本土に先祖を持つ大和民族が多数移り住んだ。
女性の国際結婚率は全国で最も高く、米国人男性と沖縄人女性との間に生まれたハーフあるいはクオーターの混血も(非嫡出子かを問わず)多い。
名字[編集]
沖縄の名字の多くは、地名に由来する。琉球王国時代では、王族、士族らは現在の名字に相当する家名を名乗り、領地が変わるたびにそれも変化した。薩摩藩による侵攻以降、薩摩藩の政策と琉球王府の施策により、日本風の二字姓家名からいわゆる沖縄風の三文字姓に改名した家系が多い。琉球処分後、一般庶民にも姓を名乗ることが許され、また明治以降は琉球語読みの名字の多くは日本語読みに改まった。
建築[編集]
沖縄県の伝統的な建築は、主に琉球王国時代に発展した。建造物の多くは建築様式や素材・技術などで他地域の建築(主に日本建築・中国建築)との類似点が多く見られるが、風土等の面で異なるために独自の発展が見られる。王朝時代において、琉球士族などを中心に瓦葺きの木造建築である貫木屋(ヌチジャー)、庶民は主に穴屋(アナヤー)と呼ばれる掘立小屋に住居を構えていた。また住居以外には、城壁や橋梁等の石造建築物に琉球石灰岩が多く使用されたが、沖縄戦により失われた建築物も多い。戦争により多くの木造住宅だけでなく山林が消失し、大量の職人と資材が失われ、復興をアメリカ軍が主導するかたちでツーバイフォー構造の建物が多く建てられた。
現在では、台風やシロアリに強い鉄筋コンクリート構造に給水タンク(大きな河川がなく幾度と水不足を経験したため)を設置した住宅が一般的になっている[83][84]。
在日米軍の軍人軍属およびその家族が居住する目的で基地外に建築された外人住宅も多数存在しており、本土の基地縮小とは裏腹に復帰後も戸数は拡大していった。新築物件には主に将校や高級士官が、中古物件には下級軍人や軍属や日本人が居住している。増加する米軍人員を収容するための住宅需要が高まり、民間投資によるアメリカ人向けの大規模な土地造成と住宅地建築が行われた。新築物件には主に高級士官、古い物件には下級軍人や軍属および日本人が居住し、現在も宜野湾市、北中城村、沖縄市、うるま市、北谷町などに「外人住宅街」が存在し、独特の街並みを形成している。
伝統工芸[編集]
- 久米島紬(織物、1975年)
- 宮古上布(織物、1975年)
- 読谷山花織(織物、1976年)
- 読谷山ミンサー(織物、1976年)
- 琉球絣(織物、1983年)
- 首里織(織物、1983年)
- 与那国織(織物、1987年)
- 喜如嘉の芭蕉布(織物、1988年)
- 八重山ミンサー(織物、1989年)
- 八重山上布(織物、1989年)
- 琉球びんがた(染色品、1984年)
- 壺屋焼(陶磁器、1976年)
- 琉球漆器(漆器、1986年)
- 知花花織(織物、2012年)
- 伝統工芸品
芸能等[編集]
琉球王国時代に広まった琉球古典音楽は、中国に起源をもつ三線を始め、琉球舞踊や日本芸能である能、狂言等の要素を取り入れた組踊が発展し、さらに琉歌による文学的表現も確立させた。琉球処分後には庶民にも三線音楽が普及し、現在でも民謡が盛んに歌われるほか、ポピュラー系の音楽ジャンルにも影響を及ぼしている[要出典]。また、エイサーは浄土宗の念仏が基となり形成された伝統芸能であり、近年では宗教色のない創作エイサーへも発展している。
アメリカ統治時代に、コザ市(現沖縄市)では、朝鮮戦争やベトナム戦争に明け暮れた米軍人向けにクラブやライブハウスが流行し、多数のハードロックミュージシャン達が活躍した。戦争の終結、米ドルの相対価値の下落、Aサインバーの閉鎖等、環境の変化に伴い衰えたものの、現在でも全国に進出して活動しているミュージシャンは多い。
現代では沖縄県出身の芸能人も盛んに活躍し、沖縄アクターズスクールの卒業生を筆頭に数多くの歌手、アイドル、タレントの輩出している。
衣装[編集]
伝統的衣装である琉装のほか、近年ではアロハシャツに似たかりゆしウェアも見られる。
戦後は収容所で生活していた住民らに米軍から放出された衣類が支給された。収容所が解体された後も耐久性や利便性から米軍放出品の衣類が利用され、現在に至るまで販売されている。
武術[編集]
以前から存在していた沖縄固有の武術「手(ティー)」と、琉球王国時代に伝来した中国武術により融合して誕生したのが、唐手(からて、トゥーディー)であり、後の空手道に発展した[85]。戦後、空手を習得したアメリカ軍人や、日本から海外へ渡った空手家により、次第に世界へと普及した。
広義の琉球古武術は、徒手空拳術(空手)と武器術から成る。一般的に古武術は後者を指すが、空手と武器術は互いに密接な関係にある[86][87]。棒術、トンファー術など様々だが、中でもヌンチャクを用いた武器術は世界的にも有名である。
馬術[編集]
速さではなく、美しさを競う古式競馬。琉球競馬(ンマハラシー)は300-500年ほど前から行われ、明治以降は全県民的な催事となり太平洋戦争中までは琉球競馬が盛んに行われていた。 2013年から琉球競馬の復活事業として沖縄こどもの国にて行われる。
料理[編集]
本土においては7世紀以降、稲作を神聖視する一方で、肉食は穢れとみなされ、表向き禁忌とされた。しかし、沖縄は19世紀まで本土から独立した国家であったためこの思想がなく、早くから肉料理が発達した。中国の影響からか特に豚肉料理が伝統的に発達している。牛、馬、猪、鳥の肉を食べるが、祝いの席などで山羊の刺身、山羊汁、チーイリチーをふるまうことが多い、山羊の肉と血液を調理するチーイリチャーは、沖縄ならではのものといえる。古くから諸外国との貿易で繁栄した海洋王国のためか、琉球料理には、遠い北海道産の昆布も多く使われる。[88]
また、アメリカ占領時の食文化も今日に受け継がれている。[89]
差別[編集]
琉球民族間での差別[編集]
王府の管轄下にあったニンブチャー(チョンダラー)以外には被差別民がいなかった[90] ため、本土の部落差別にあたるものはないものの、王族と庶民の格差は甚だしく大きい階級・身分社会であった。また都市部以外ではシマ社会の旧習が今も色濃く残っており、男尊女卑や、部外者排斥の傾向が見られる。また、沖縄固有の歴史的事情に起因する差別も知られている。離島民は本島民から激しい差別を受けてきた。
大和民族による差別[編集]
本土ではかつて、沖縄出身者が異質な存在として差別的に扱われることが多かった。1903年には展覧会で沖縄出身の遊女をアイヌや台湾原住民などとともに異民族として「展示」し、沖縄県民の反発を招く事件が起こった(詳細は人類館事件を参照)。大正から昭和初期にかけて沖縄から本土への出稼ぎが増加した際には、標準語や本土の習慣・時間感覚に不慣れな者が多かったことなどを背景に、求人告知や商店の入口で「琉球人お断り」と但し書きされる事例があった。
在沖米軍による差別[編集]
戦後のアメリカ統治時代に、米軍は銃剣とブルドーザーによって強権的に土地を接収し、米軍兵による強盗・強姦・殺人等の事件が相次ぎ、沖縄人の間に反米感情が高まり、特にポール・W・キャラウェイ琉球列島高等弁務官時代には非常に強権的な態度で沖縄人を抑圧した(キャラウェイ旋風)。1970年12月には、米軍人による交通事故を発端にコザ暴動にまで発展した。
奄美出身者への差別[編集]
地理的・文化的に近い奄美群島は、琉球王国の侵略を受け服属したのは約1世紀半であったが、島津氏によって本土勢力の支配下となり明治維新で鹿児島県に属した後も、沖縄との人的交流が盛んな地域であった。しかし、太平洋戦争後のアメリカ占領軍の施政下から奄美群島が先に祖国復帰を果たすと、「日本国民」に戻った奄美出身者の人権を制限する施策が、沖縄本島住民の陳情により次々と導入された。また、沖縄タイムスなどのマスコミも差別を助長するような報道を行い[要出典]、民間に差別感情が広まった。
混血児への差別[編集]
アメリカ人とアジア人、特にアジア地域へ来たアメリカ軍人と現地の女性との間にできた子どもはアメラジアンと呼ばれる。沖縄には今日でもアメリカ軍の軍人・軍属が多く居住し、多くのアメラジアンが生まれ続けているが、差別も根深い。米軍基地とテレビで目にすることが、沖縄で育ったアメラジアンが知っているアメリカ文化の全てということが多い[91]。にもかかわらず外見でアメリカ人と決めつけられ、商店からつまみ出される、公共のプールに入れさせてもらえない[92] といった差別を受けている。慰霊の日の前後に公立校では反米的な学習が展開されるため、「ヤンキー・ゴー・ホーム」と迫害されるいじめを浴びる[93]。さらに、アメラジアン自身だけではなくその母親にまで、反米意識に基づく差別・偏見のまなざしが向けられている[94]。また、アメラジアンの多くが集まっていたオキナワ・クリスチャン・スクール・インターナショナルの新校舎建設地が産廃の投棄跡であったため生徒に吐き気や皮膚炎症、性器の発赤といった健康被害が多発した時には、沖縄県はダイオキシンやPCBの検査をせずに「安全宣言」を出して済ませてしまい、結局約80名が退学する事態となった[95][96]。
ハンセン病者への差別[編集]
沖縄県はハンセン病が多く発生してきた地域であり、20世紀末には日本人の新規発症者の6割から7割を沖縄県出身者が占めている[97][98] が、沖縄社会のハンセン病に対する差別や迫害は厳しいものであった[99]。シマではハンセン病者(「クンチャー」と呼ばれ、これは乞食を意味する琉球方言である)をガマ、崖地、ゴミ捨て場などに隔離し、シマに戻ることを禁じる文化があった[100]。亡くなっても一族の墓には入れず、逆さまにして埋め、二度と生まれてこないよう呪いをかけた[101]。昭和50年代に火葬場が増えてから沖縄にも本土式の葬儀が広まった[102] が、その下でも遺骨に炒り豆を置く呪い(「これが芽吹いたら生き返ってこい」という意味だが、炒ってあるので絶対に芽は出ない)が行われている[103]。
近代医学的なハンセン病医療の場を作る動きに、沖縄県民は激しく抵抗した[104]。国立ハンセン病療養所設置を阻止するための暴動(嵐山事件)が起きたり、療養所設置を求めた青木恵哉ら、ハンセン病患者が焼き討ちにあったりもしている。その青木らにより、ようやく開園にこぎつけた沖縄県立国頭愛楽園(現在の国立療養所沖縄愛楽園)は、地域社会との交流が他の療養所以上に乏しかった。
感染性への誤解も根強く、琉球新報は投薬治療中の教員から児童へ感染が広がっているという誤った考え方を主張し(後に他紙記者により「沖縄戦後ジャーナリズム最大の汚点」と指弾される)、またらい予防法廃止前に行われた世論調査では住民の87%がハンセン病患者の全員隔離に賛成という結果が出ている[105]。
精神障害者への差別[編集]
復帰前の調査では、沖縄は精神障害の有病率が本土の2倍との結果が得られ[106]、近年でも精神的疾病、性暴力、家族内暴力、学校内暴力、自殺などが全国トップレベルである[107]。
その沖縄で特徴的なのは、西洋医学とは整合しない土着の信仰や旧習に基づく障害観である。精神障害者を家族が座敷牢に閉じこめる私宅監置は、本土では1950年に禁止されたが、沖縄では復帰後もなお障害者の座敷牢状態が続き、また家族は地域社会から疎外され見捨てられる有様であった[108][109]。精神障害は悪霊(マジムン)によって起こされているという理解もあり、これを迷信として否定するよう呼びかける精神科医がいる一方で、ユタ信仰の影響を受け土着化したキリスト教である沖縄キリスト教福音はその主張自体が悪霊に言わされているものだと批判し、統合失調症やてんかんには悪霊払いを行っている[110][111]。「医者半分、ユタ半分」ということわざがあり、精神科医が精神病の患者にユタを勧める例もある[112]。
一方、ユタは精神障害者に近いというとらえ方から、精神障害者が社会の役に立っているという認識をしている人も多い[113]。精神異常を来した者のうち、神や先祖とのコンタクトや憑依体験に至った者はカミダーリと呼ばれ、社会に受けいれられる「肯定的な狂気」として存在できる[114]。
自衛官への差別[編集]
職業差別として、自衛官に対する差別がある。本土復帰に伴い自衛隊が沖縄に配置されると、自衛官たちは人殺し呼ばわりされ、自衛隊員の子供は半年以上も学校に通うことが出来なかったほどである。また様々な行事から閉めだされた上に、参加が許可されても自衛隊を名乗ることを許されなかった。自治体は自衛官やその家族の住民登録を拒否し、ゴミの処理を受け付けなかった事例もあった。那覇ハーリーで自衛隊を名乗って参加することが許されたのは2001年のことであった[115]。
2017年3月9日には宮古島市の市議である石嶺香織が、自身のFacebookに「(アメリカ)海兵隊から訓練を受けた陸上自衛隊が宮古島に来たら、米軍が来なくても絶対に婦女暴行事件が起こる」などと投稿し炎上したため、「自衛隊全体を批判しているわけではない」と謝罪し「戦争のための軍隊という仕組みに対して(批判した)」などと言及したところ、再度炎上する事態となり、石嶺は2つの投稿をFacebookから削除した[116]。宮古島市議会は「投稿は自衛隊員、米海兵隊員に対する職業的差別であり、断じて許すことができない暴言と言わざるを得ず、市議会の品位を著しく傷つけるものだ」などとして石嶺に対する辞職勧告決議(賛成20、反対3、欠席1)を可決した。石嶺は「私は議会が選んだ議員ではない」などとして辞職を拒否している[117]。
スポーツ[編集]
スポーツチーム[編集]
- クリード安仁屋ベースボールクラブ
- FC琉球(サッカーJリーグ)
- 琉球ゴールデンキングス - ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグに所属のプロバスケットボールチーム。
- 琉球コラソン(日本ハンドボールリーグ)
- 琉球ボクシングジム
主なスポーツイベント[編集]
スポーツ施設[編集]
日本プロ野球の春季キャンプ地が沖縄県に集中しており、2011年(平成23年)は、12球団中10球団(1軍のみ)が県内でキャンプを行った。以下に主な運動公園・野球場を挙げた。
観光[編集]
沖縄県を舞台とした作品[編集]
この節の加筆が望まれています。 (2014年11月) |
※発表年順
- 映画
- ひめゆりの塔 (1953年、東映)
- 電光空手打ち (1956年、東映)
- 狼やくざ 殺しは俺がやる (1971年、東映)
- 激動の昭和史 沖縄決戦 (1971年、東宝)
- 夏の妹 (1972年、日本ATG)
- ゴジラ対メカゴジラ(1974年、東宝)
- 沖縄やくざ戦争 (1976年、東映)
- 空手バカ一代 (1977年、東映)
- 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 (1980年、松竹)
- 友よ、静かに瞑れ (1985年、東映セントラルフィルム)
- ベスト・キッド2 (1986年)
- マリリンに逢いたい (1988年、松竹富士)
- Aサインデイズ (1989年、大映)
- 3-4X10月 (1990年、松竹)
- ソナチネ (1993年、松竹)
- モスラ2 海底の大決戦 (1997年、東宝)
- 釣りバカ日誌イレブン (2000年、松竹)
- ニライカナイからの手紙 (2005年、IMJエンタテインメント=ザナドゥー=エルゴ・ブレインズ=ビジュアルアート研究所配給)
- 涙そうそう (2006年、東宝)
- カフーを待ちわびて (2009年、エイベックス)
- てぃだかんかん (2010年)
- 絶壁の上のトランペット(2016年)
- テレビドラマ
- 文芸
- アニメ
- 対馬丸 さようなら沖縄 (1982年、対馬丸製作委員会)
- 白旗の少女 琉子 (1988年、共同映画全国系列会議)
- かんからさんしん (1989年、かんからさんしん製作委員会)
- ストラトス・フォー (2003年、UHFアニメ)
- BLOOD+ (2005年、MBS)
- あそびにいくヨ! (2010年)
- エウレカセブンAO (2012年、MBS)
- はいたい七葉 (2012年、QAB)
- ラブライブ!(2期) (2014年、那覇市・恩納村・本部町)
- 生徒会役員共*(第2期) (2014年、那覇市・竹富町)
- ゲーム
人物[編集]
脚注[編集]
- ^ a b “離島の概況について/沖縄県”. 2017年10月12日閲覧。
- ^ 日本最南端は東京都に属する沖ノ鳥島であるが、人は住んでおらず、民間人が自由に立ち入ることはできない。
- ^ ただし名目上は琉球の一部とされた。詳細は奄美群島の歴史を参照。
- ^ 「唯一」という言葉については議論がある。沖縄地上戦 国内唯一→国内最大 政府が閣議決定(琉球新報)
- ^ 「1962年・沖縄 「核兵器庫」の嘉手納」毎日新聞2016年2月20日 東京夕刊
- ^ ただし沖縄復帰を前に制定された「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」では、戦前の沖縄県が地方自治法に定める県として建前上存続するものとされた。
- ^ なお復帰に際して日本は米国に対し総額3億2000万ドルを支払っている(現在の為替レート(2016年10月時点)で約5000億円)
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ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。 - ^ 【参考】日本の島の面積順に上位10島 ⇒ 本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬。
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- ^ 宮古・石垣のケーブルテレビでは先発3社・4局もアナログ放送を配信していたが、4:3の通常画質だったそれらとは異なりQABははじめからレターボックス16:9を使っていた
- ^ 以前は他地域での経営上の理由(ケーブルテレビ局側における設備上のコストや県内既存局の圧力)などで再送信されなかったケースもたびたびあったが本土の県庁所在地の中心部のケーブルテレビ局は4大系列とも再送信されることが一般的である。
- ^ ただし、NHK-FM は2011年(平成23年)9月からラジオ第1・第2とともにインターネットを通じた同時配信により聴取可能となったが、すべて東京からの放送となるため本来の沖縄県域および九州・沖縄ブロックの番組と権利上の理由で同時配信されない番組がある場合は中継局が整備されない限り聴取不可。なお、2012年度に2か所の中継局が開局されたが、開局されたのは東京都小笠原諸島の父島・母島両中継局であり、大東諸島では依然として開局のめどが立っていないため、父島・母島両中継局開局後は全国で唯一 NHK-FM のラジオ放送による直接受信ができない地域として残ることになった。
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- ^ “「自衛隊が来たら婦女暴行事件起きる」FBに投稿した石嶺香織・宮古島市議に辞職勧告 宮古島市議会、賛成多数で可決”. 産経新聞. (2017年3月21日)
関連項目[編集]
- Category:沖縄県
- 沖縄慰霊の日 - 条例によって沖縄戦の慰霊の日と定められた沖縄県の休日。
- 沖縄県の観光地
- 日本の地方公共団体一覧
- 日本の地理、日本の地域
- 日本列島、南西諸島、琉球諸島
- 本土、離島
- 島、島国、島の一覧
- 大阪府大阪市大正区 - 沖縄県からの移住者が多い地域であり、沖縄料理や食材が多く扱われている事から「リトル沖縄」と呼ばれている。
- ボリビアサンタ・クルス県 - 沖縄県からの移住者によって設けられた入植地がある。その場所はオキナワ移住地(コロニア・オキナワ(西: Colonia Okinawa))と呼ばれている。
- 沖縄県(琉球語版ウィキペディア)
外部リンク[編集]
- オープンストリートマップには、沖縄県に関連する地理データがあります。
- ウィキトラベル旅行ガイド - 沖縄県
- 沖縄県(公式サイト)
- 沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語 - 沖縄観光コンベンションビューロー
- 沖縄県の島しょ別面積一覧 沖縄県を構成する160の島の名称と面積の一覧表 - 沖縄県土地対策課
- 2016 ミスユニバース沖縄大会
先代: 琉球藩 |
行政区の変遷 1879年 - 1945年 (第1次沖縄県) |
次代: 琉球列島米国軍政府 |
先代: 琉球列島米国民政府 琉球政府 |
行政区の変遷 1972年 - (第2次沖縄県) |
次代: ----- |
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