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完全な者でも罪を犯すことがある
聖書中にで出てくる完全な者は、サタン、み使い、アダム、エバ、イエスである。
そのうち、サタン、アダム、エバ、一部のみ使いは神から独立する。
その結果、多くの罪となる物事が起きた。
イエスの目的
神の政府に関することが主要な目的である。
四福音書には王国という言葉が100回以上でているが、そのほとんどはイエスが語っている。
神の政府とは、神が人を統治する政府のこと。
未来の出来事について
一般的に起こるだろうと言われている未来の出来事。
- 仮想現実の技術向上
- 人間と同様な動きができるロボット
- 若返りの医療
- 長寿医療
- 人工知能の向上と倫理的な問題
- 車の自動運転
- 核戦争の脅威
- 大地震
- 温暖化による台風の大型化
- パンでミック
不可知論
無神論と似ているが少し異なる。
不可知論は神が存在するとしても認識することは不可能であり、知ることはできないという考えである。
不可知論と聖書の共通点
不可知論者は証拠のないものを信じるものを浅はかと主張する。
聖書でも証拠のないものを信じるものは単純で愚かであるとしている。
(箴言 14:15) 経験のない者はすべての言葉を信じ,明敏な者は自分の歩みを考慮する。
不可知論と聖書の相違点
不可知論は「懐疑主義」に基づいている。
対して聖書は「懐疑主義」の反対である「真理」に基づいている。
懐疑主義
すべての事にあてはまるような真理を確実にとらえることは、人間にはできない、という考え方。
*** 塔08 5/1 3ページ 見えないものは信じにくい ***
「不可知論者は,神に関する真理や,キリスト教などの宗教の教える将来の命に関する真理を知ることは不可能だ,と考える人である。永遠に不可能ではないとしても,今のところは不可能だ,と考える」。―哲学者バートランド・ラッセル,1953年。
「不可知論」という語を作ったのは,動物学者のトマス・ハクスリーです。1825年生まれのハクスリーは,チャールズ・ダーウィンと同じ時代の人で,進化論を擁護していました。1863年にハクスリーは,「キリスト教の説くような,我々を愛し気遣う」神の存在を示す証拠は見当たらない,と書きました。
今日,そうした識者たちの意見に同調し,『目に見えるものしか信じない』と言う人も少なくないでしょう。『証拠のないものを信じるのは浅はかだ』と言うかもしれません。
聖書は,盲目的に神を信じるよう勧めているのでしょうか。いいえ,その逆です。証拠の裏づけのない主張を信じるのは単純で愚かである,ということを示しています。「経験のない者はすべての言葉を信じ,明敏な者は自分の歩みを考慮する」と述べているのです。
神による政府
【記述中・・・2016-9】
神によって設立された政府である。神の御国または王国と呼ばれる。
政府の目的
人々との心を教育し、高い道徳をもつようにする。
神権政治
神権政治<テオクラシー>は2つの意味がある。
宗教組織による支配と神による統治である。
聖書では神による統治を指している。
イエスの主要な目的
神の政府はイエスの主要な目的の1つであり、何度も言及している。
イエスについて記録されてる四つの福音書には神の王国について100件くらい記述されているが、そのほとんどはイエスが語っている。
特殊創造説
神は世界を文字通り6日間で創造したという説である。
キリスト教の根本主義者が主張している。
根本主義者は、科学的に正確な事柄であっても相容れないなら退ける。
聖書が不合理かつ不正確であるかのような印象を与えている。
自然発生説
ウナギは海底の泥から生まれる
アリストテレスが提唱したと言われる自然発生説である。
西暦前4世紀に提唱されたが19世紀まで信じられていた説である。
汗で汚れたシャツからハツカネズミが発生する
小麦、汚れたシャツに牛乳と油をたらし、壺に入れる。
その壺を倉庫に入れるとハツカネズミが発生するという説である。
1668年、ファン.フェルモントが実験を行った。
肉片からウジは派生しない
当時、ウジは肉片から自然発生すると考えられてきた。
1665年フランチェスコ・レディは次の実験を行った。
ガーゼで覆った魚を入れたビンからウジは派生しない
自由意志
神は人に物事の選択権を与えた。そして正しい選択を望んでおられる。
申命記 30:19
19 わたしは今日,天と地をあなた方に対する証人として立て,あなたの前に命と死,祝福と呪いを置いた。
あなたは命を選び,あなたもあなたの子孫も共に生きつづけるようにしなければならない。
どの神に仕えるか、神を拒否するのかは本人の自由である。
ヨシュア 24:15
15 しかし,もしエホバに仕えることがあなた方の目から見てよくない事とされるなら,
川の向こう*にいたあなた方の父祖たちが仕えた神々であれ,あなた方がいま住んでいる地のアモリ人の神々であれ,
あなた方が仕える者を今日自分で選びなさい。しかし,わたしとわたしの家の者とはエホバに仕えます」。
人は自由に自分の道を歩むが、それでも神は導かれる。
箴言 16:9
9 地の人の心が自分の道を考え出すことがあっても,エホバがその歩みを導かれるのである。
間違った道を歩むなら、その結果を身に受けることになる。
ガラテア 6:7
7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。
災害と事故による悲劇はなぜ存在するのか
イエスは事故で死んだ18人について罪ゆえに死んだわけではないと語った。
ルカ 13:4‐5
4 また,シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人のことですが,これは彼らがエルサレムに住むほかのすべての人より負い目のある者だったしるしだとでも思いますか。
5 あなた方に言いますが,決してそうではありません。
時と予見しえない出来事とは彼らすべてに臨むからである。
伝道の書 9:11
わたしは日の下で引き返して見たのであるが,速い者が競走を,あるいは力のある者が戦いを自分のものにするわけではない。また賢い者が食物*を得るのでも,理解のある者が富を得るのでもなく,知識のある者たちが恵みを得るのでもない。なぜなら,時と予見しえない出来事とは彼らすべてに臨むからである。
なぜクリスチャンは苦しみや迫害に遭うのか
サタンは,人が神に仕えているのは利己的な益のためであって愛の動機によるものではない,と主張している。
サタンの主張→
ヨブ 1:9,10
「ヨブはただいたずらに神を恐れたのでしょうか。
あなたが,彼とその家と彼の持っているすべてのものとの周りにくまなく垣を巡らされたではありませんか。
彼の手の業をあなたは祝福されたので,その畜類は地にふえ広がりました」
それゆえクリスチャンは様々な仕方で信仰が試みられることがある。
信仰の試みはクリスチャンであると公言する人々を試みであり、真のクリスチャンを見分けるふるい分けでもある。
ペテロ第一 4:16 17
16 しかし,クリスチャンとして苦しみに遭うのであれば,その人は恥じることはありません。
むしろその名によって神の栄光をたたえてゆきなさい。
17 今は,裁きが神の家から始まる定めの時だからです。
さて,それがまずわたしたちから始まるのであれば,神の良いたよりに従順でない者たちの終わりはどうなるでしょうか。
神は良いことを行なった者を生き返らせる
ヨハネ 5:28 29
28 このことを驚き怪しんではなりません。
記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。
29 良いことを行なった者は命の復活へ,
いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと出て来るのです。
迫害に遭っている仲間への励まし
ペテロ第一 4:19
そうであれば,神のご意志にしたがって苦しみに遭っている者たちは,善を行ないつつ,
自分の魂を忠実な創造者にゆだねてゆきなさい。
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