ある日、ある人が 夜道を歩こう としています。
その道は草むらが生い茂っており、「ハブが出るかもしれない」 と地元では知られている場所です。
そこへ親切な通りがかりの人が声をかけます。
「この道は暗くて危ないよ。ハブが出るかもしれないから、気をつけて歩いてね。」
「この人、本当のことを言ってるのかな?脅してるだけかもしれない。信用できない。」
そう思って忠告を無視し、いつも通りに歩いてしまいました。
結果、足元にいたハブに気づかず、噛まれてしまったのです。
「本当かどうか分からないけれど、言ってくれたことには意味があるかもしれない。慎重に進もう。」
そう思って、懐中電灯で足元を照らしながら、一歩一歩を注意深く歩きました。
すると、草むらの中にハブを見つけ、避けることができました。
「疑う心」は、誰のことも信じず、必要な忠告さえ退けてしまう危険があります。
一方で「慎重な心」は、情報をすぐに信じきるのではなく、落ち着いて考え、注意深く行動する心です。
「世間知らずの人は全ての言葉を信じ,聡明な人は1歩ごとにじっくり考える。」
― 箴言14:15
「この連絡、本物かな?」と 慎重に考え、調べ、相談する人は、自分を守ることができます。
でも、「誰も信用できない」と 心を閉ざすだけでは、本当に助けてくれる人の声まで遠ざけてしまうかもしれません。