はじめに
近年、「叱らない子育て」という言葉をよく耳にするようになりました。
怒鳴らない、否定しない、子どもの気持ちを尊重する――。
確かに、威圧や体罰は子どもの心に傷を残すことがあります。
その反省から、「叱ること自体がよくない」という風潮が広がりました。
しかし、ここで一つ考えたいことがあります。
怒鳴らないことと、正さないことは同じではないという点です。
叱らずに子どもを育てるという風潮
現代の子育てでは、次のような考え方が重視されています。
- 自己肯定感を大切にする
- 子どもの気持ちを尊重する
- 否定的な言葉を避ける
その結果、次のような育て方になることもあります。
- できなくてもとにかく褒める
- 問題行動を強く注意しない
- 失敗の責任をあまり追及しない
一見優しさに見えますが、もし「境界を示さないこと」になってしまうと、
子どもは社会の現実を学ぶ機会を失ってしまいます。
叱られずに育った子どもに起こりやすい傾向
※もちろん個人差はあります。
1. 批判に弱い
子ども時代に否定的なフィードバックを受ける経験が少ないと、次のような場面を強い人格否定のように感じてしまうことがあります。
- 上司からの指摘
- 顧客からのクレーム
- 同僚からの改善要求
「行動を直せばよい」という発想よりも、
「自分が否定された」と受け取りやすいのです。
2. 責任を負うことが苦手
子どもの頃、次のような経験が続くと、責任感が育ちにくくなることがあります。
- 親が後始末をしてくれる
- 失敗をなかったことにしてくれる
- 問題を代わりに解決してくれる
その結果、「自分の行動の結果は自分が引き受ける」という感覚が弱くなりやすい。
社会ではこれが基本なので、このギャップに直面したとき大きなストレスが生じます。
3. 自己評価がゆがむことがある
根拠のない称賛ばかり受けて育つと、次のような傾向が出ることがあります。
- 実力と自己評価の差が大きくなる
- 自分は特別扱いされて当然だと思う
- 評価されないと強く落ち込む
社会人になってから発生する問題
職場は家庭とは違い、次のような現実があります。
- 納期を守る義務がある
- ミスは指摘される
- 成果で評価される
- 協調性が求められる
そこで初めて強い注意を受けると、次のような反応が出ることがあります。
- 萎縮してしまう
- 逆に攻撃的になる
- 逃避する
子ども時代に小さな失敗と修正を繰り返していれば、注意は「成長の機会」として受け取れます。
しかしその練習がない場合、それは人格否定のように感じられてしまうのです。
聖書の見方 ― 褒めることと正すことのバランス
聖書は、褒めること自体を否定していません。イエスは、主人が忠実な僕にこう語る場面を伝えました。
「よくやった、良い忠実な奴隷だ」(マタイ 25:19-21)
褒めるに値する行いに対して評価することは、ふさわしいとされています。
しかし一方で、根拠のない自己評価についてはこう警告しています。
「本当は何者でもないのに,自分は大した者だと考える人は,間違った見方をしています。」(ガラテア 6:3 新世界訳)
実力以上に自分を高く見積もることは、本人にとっても危険だという指摘です。
さらに、子どもへの態度についてはこう述べられています。
「子どもを正すことを怠ってはなりません。毅然としてそうしても,子どもを死なせることはないでしょう。」(箴言 23:13)
ここで言われているのは、怒りに任せた暴力ではなく、
愛情を土台とした毅然とした指導です。
聖書の立場は、次のバランスを大切にします。
- むやみに褒めそやすこともしない
- しかし感情的に傷つけることもしない
- 必要なときにはきちんと正す
本当に必要なのは何か
叱ることの目的は、恐怖で従わせることではありません。次の力を育てるためです。
- 境界を教える
- 他者への配慮を教える
- 自分の行動の結果を理解させる
- 修正する力を育てる
愛情のない厳しさは心を傷つけます。
しかし、境界のない優しさもまた、将来の苦しみを生むことがあります。
結論
叱られずに育った子どもが必ず問題を抱えるわけではありません。
しかし、次が続けば、社会に出たとき大きな衝撃を受けやすくなります。
- 根拠のない称賛
- 責任を負わせない環境
- 行動を正されない習慣
本当に必要なのは、
愛情の中で、適切に褒め、必要なときにはきちんと正すこと。
それは子どもを傷つけるためではなく、
将来、社会の厳しさに押しつぶされないよう守るためなのです。