よくある「心が傷つく」事例
職場や学校、地域、あるいはネット上で、根拠のない噂を流されたり、人格を否定するような言葉を投げつけられたりする。
直接言われなくても、陰で悪く言われていると知っただけで、心は深く傷つきます。
「自分が何か悪いことをしたのだろうか」
「どうしてあんな言い方をされなければならないのか」
そう考え始めると、頭の中で何度も同じ場面が再生され、怒りや悲しみ、悔しさが繰り返し押し寄せてきます。
これは特別弱い人だけが経験することではありません。人と関わって生きている限り、誰にでも起こり得る心の痛みです。
心の傷は「怪我」と同じ
心の傷は、実際の怪我とよく似ています。
怪我をした直後は、
・強い痛みがあり
・日常の動きが制限され
・触れるだけで辛く感じます
しかし、適切に手当てをし、安静にしていれば、時間とともに痛みは和らぎ、回復していきます。
心も同じです。中傷を受けた直後は苦しくて当然です。
一方で、かさぶたになりかけた傷を何度もいじると、化膿して治りが遅くなるように、心の傷も、繰り返し掘り返すことで悪化してしまうことがあります。
心理学的に見る「思い出し続ける苦しさ」
心理学では、傷ついた出来事を何度も思い返すことを「反芻(はんすう)思考」と呼びます。
反芻が続くと、脳はその出来事を「過去の出来事」ではなく「今も続いている危険」として処理してしまいます。
その結果、
- ストレス反応が繰り返し起こる
- 不安や怒りが強まる
- 自己評価が下がる
といった悪循環に陥りやすくなります。
これは「気にしすぎ」なのではなく、心が傷ついた時に起こりやすい自然な反応です。
だからこそ、無理に忘れようとするのではなく、「これ以上傷をいじらない環境」を整えることが大切になります。
聖書は「心の薬」のような存在
ここで、聖書の言葉が持つ役割を考えてみます。
詩編 147:3 には、こう書かれています。
その傷を包んでくださる」
この言葉が示しているのは、神がまず行うのは「責めること」でも「急いで治すこと」でもなく、傷を包むことだという点です。
薬がすぐに骨折を治すわけではないように、聖書の言葉も、痛みを一瞬で消す魔法ではありません。
しかし、
- 自分の価値を否定し続ける思考を和らげ
- 孤立している感覚を静め
- 心がこれ以上悪化しないよう守る
そのような治癒を助ける働きをします。
まさに、炎症を抑え、回復を促す「心の薬」のような存在です。
おわりに
中傷によって心が傷つくのは、弱さではありません。それは、人として自然な反応です。
大切なのは、
・傷があることを認め
・無理にいじらず
・適切な手当てを受けること
心の傷も、怪我と同じように、包まれ、守られ、時間と共に回復していくものです。
その過程で、聖書の言葉が静かな薬として働くことがあります。
急がなくて構いません。癒やしは、確実に進んでいきます。