せっかくの休日なのに、朝から何もする気が起きない。
起きてはいるが、動く理由が見つからず、コーヒーを飲みながらぼんやりと時間が過ぎていく。
気づけば夕方。
そして夜になり、「今日も何もしなかった」という後悔とともに、明日からの仕事を思って気分が重くなる。
このような休日を経験したことがない人は、少ないだろう。
良い休日の第一歩 ― 何もしない時間
良い休日を考えるうえで、まず大切なのは
「何もしない時間を否定しないこと」だ。
何もせず、コーヒーやお茶を飲みながら静かに過ごす時間は、
心と体を平常に戻すための重要な時間である。
この時間がなければ、次の行動も生まれにくい。
ただし、それだけで一日が終わると、
夜に自己否定や後悔が生まれやすいのも事実だ。
小さくていい、価値のある活動を一つか二つ
そこで次に必要なのが、
「何でもいいので、価値を感じられる活動を一つか二つやってみること」である。
特別なことをする必要はない。
- 読書を少しする
- 登山や散歩に出かける
- 勉強や調べ物をする
- 部屋を軽く掃除する
- 家族を連れて外出する
時間も量も重要ではない。
「今日はこれをやった」と言える事実が、夜の自己肯定につながる。
休日の活動の「価値」を考えてみる
ここで一歩踏み込み、
その活動の価値について考えてみたい。
- それは仕事や生活にどう役立つだろうか
- 自分を少しでも成長させるだろうか
この問いを持つだけで、
休日の過ごし方は「気分任せ」から「意味のある時間」へ変わり始める。
最も価値あることとは何か
しかし、さらに深く考えると、別の疑問に行き着く。
聖書にあるように、
「すべてのものは風を追うようにむなしい」
どんな活動も、目的を誤れば、むなしく感じられる。
そこで基準となるのが、
神から見て価値のある活動や行動かどうか
という視点である。
この基準を持つと、
いつも休日にやっていることも、見方次第で180度変わる。
行動は同じでも、「向き」で価値は変わる
たとえば、次のように考えることができる。
- 読書をするなら、知識を誇るためか、理解を深めるためか
- 仕事の勉強をするなら、出世のためか、人の役に立つためか
- 趣味をするなら、現実逃避か、感性を育てるためか
行動そのものよりも、
どこに向かっているかが価値を決める。
この視点を持てば、
休日の活動は競争や比較から解放され、
静かに自分を整える時間へと変わる。
夜に、今日の価値を思い返す
夜になったら、
今日過ごした時間について振り返ってみよう。
- 少しでも理解を深めたか
- 誰かの役に立とうとしたか
- 感性や良心を大切にできたか
完璧である必要はない。
一つでも「はい」と言えるなら、その日は価値がある。
充足感は、明日のやる気につながる
このように休日を過ごせば、
「今日は良い休日だった」という静かな充足感が生まれる。
その充足感は、
無理に気合を入れなくても、
自然と「明日もやってみよう」という気持ちにつながっていく。
結局、良い休日とは何か
結局のところ、
良い休日の過ごし方は簡単そうで、実は難しい。
なぜなら、そこには
人生の目的が関わってくるからだ。
人生の目的ほど難しい考察はない。
しかし、少なくとも一つ言えることがある。
神から見て価値のある方向に、
少しでも歩んだ一日は、
決して無駄ではない。
その視点を持つことが、
良い休日への、最も確かな道なのかもしれない。