丁寧な言葉に見えても、内側に不誠実や操作の意図が潜むことがあります。聖書はそれをどのように見ているのでしょうか。
「聖書に対する洞察」に基づく整理
箴言 29:5 は「隣人にお世辞を言う人は,隣人が通る所に網を張っている」と語ります。お世辞は単なる好意的な言葉ではなく、 相手を落とし入れるための罠になり得ます。狩人が獲物に網を張るように、へつらう人は相手の虚栄心をくすぐり、結果的に不利益や罪へと導く危険があります。
コロサイ 3:9 は「互いにうそをついてはなりません。古い人格とそれに伴う習慣を脱ぎ捨て」と命じます。お世辞は表面的にはほめ言葉でも、内実は 偽りの言葉になり得ます。心にないことを言って相手を喜ばせたり操ったりするのは「うそ」の一種です。
「古い人格」とは自己中心的で利己的な生き方。へつらいはこの古い人格の習慣であり、相手を利用するための言葉――だからこそ、それを 脱ぎ捨てるよう勧められています。
パウロは「人の好意か、神の好意か」を問いかけます。神の基準を犠牲にしてまで人に気に入られようとする姿勢は、へつらいへと傾きます。 お世辞はしばしば相手の虚栄心に迎合し、真実や正義をゆがめる危険があります。