詩編 11:5 に基づく考察

なぜ神は「暴力を愛する人」を憎まれるのか

このテーマは、神の性質・人間社会・私たちの心の持ち方に直結します。聖句の背景と現代への示唆を、やさしく整理しました。

詩編 11:5 の背景と要点

この聖句は、神が単に「暴力という行為」だけを退けるのではなく、 暴力を好み、それを習慣にする心を厳しく退けられることを明確にしています。 偶発的な過ちというより、残虐さや支配欲に快さを見いだす姿勢そのものが問題とされます。

神が「暴力を愛する人」を憎まれる理由

1) 神の本質(愛)と真逆だから

聖書は神を「愛そのもの」と描きます。愛は人に害を与えません。ゆえに、暴力は神の性質に真っ向から反します。

2) 社会を破壊し,平和を損なうから

暴力は家庭・地域・国家を壊し,恐怖と不安を増幅させます。神は平和を求められる方であり,暴力を称賛する心はその目的を妨げます。

3) 人の心と「神の像」をゆがめるから

暴力を愛する段階では,他者の痛みや命を軽視する心が育ちます。これは,人が神に似せて造られたという尊厳を損ないます。

4) 「最初の殺人者」の性質に通じるから

イエスはサタンを「その始まりから人殺し」と呼びました。暴力を好む心は,その性質に同調する危険をはらみます。

まとめ 神が「暴力を愛する人を憎む」と明言されるのは, 神の愛に反し,社会を壊し,人の尊厳を損ない,サタン的性質に通じるからです。 だからこそ,暴力の魅力に心が傾くこと自体が警告なのです。

暴力はどのように映し出されているか:スポーツとエンタメ

スポーツに見られる傾向

  • 過激な接触競技の人気:「倒す」「打ちのめす」に歓声が集まりがち。
  • 観客の過激化:乱闘や挑発を面白がる空気が,暴力の刺激を消費させる。

エンターテインメントに見られる傾向

  • 暴力描写の氾濫:戦争・復讐・拷問などが視覚的快感として消費される。
  • ゲーム文化:「何人倒したか」に快感の重心を置く遊び方が常態化。
  • 音楽・カルチャー:暴力や抗争の美化が,力による支配への憧れを育てる。

ポイント:

スポーツやエンタメは単なる娯楽にとどまらず,人間が暴力に惹かれうる姿勢を映す鏡になります。 どんな内容に「面白さ」を感じるかは,私たちの心の状態を静かに物語ります。

何を選ぶか,誰と過ごすかが心をつくる(格言 22:24–25)

すぐかっとなる人と付き合うな。激怒しやすい人と関わってはならない。
その人の行いをまねるようになって,わなに掛かることのないためである。
格言 22:24–25(新世界訳)

エンタメが及ぼす影響

暴力的な作品に触れ続けると,心は少しずつ鈍感になります。残酷な場面を楽しむ自分に気づいたら,方向転換のサインです。

人間関係が及ぼす影響

  • 口論を繰り返す仲間と過ごす → 対立的な言葉・反応がうつる。
  • 手を上げることを軽視する人と交わる → 暴力が「普通」に感じられる。
実践のヒント 平和を尊ぶ作品や,人を思いやる友人関係を意識的に選ぶことが, 神に近づく歩みと,心の清さを守る近道です。

選び方で見える「暴力を愛する傾向」— 具体例

映画・ドラマ

  • スプラッタや拷問描写を「スリル」として常に求める。
  • 復讐や報復の残酷さを「爽快」と感じる。

ゲーム

  • 戦略より「何人倒したか」の数字に快感の中心がある。
  • 痛めつける表現が主目的の作品を選び続ける。

音楽・カルチャー

  • 暴力や抗争を美化する歌詞・演出に憧れを抱く。
  • 破壊・乱闘を盛り上がり要素として歓迎する。

日常の言動

  • 「血が出ないアクションはつまらない」と言いがち。
  • 乱闘や負傷に興奮して喜ぶ/暴力動画を拡散する。

内省の問い:

最近「面白い」と感じた場面は何だったか? それは他者の尊厳を踏みにじっていなかったか?
答えは,私たちの心がどちらへ傾いているかを静かに教えてくれます。